淵田美津雄(読み)フチダ ミツオ

20世紀日本人名事典 「淵田美津雄」の解説

淵田 美津雄
フチダ ミツオ

昭和期の海軍大佐 真珠湾攻撃飛行隊長。



生年
明治35(1902)年

没年
昭和51(1976)年5月30日

出生地
奈良県

学歴〔年〕
海兵〔大正13年〕卒,海軍大学卒

経歴
昭和13年日華事変に参加、海軍少佐となる。15年第三航空戦隊参謀、16年赤城飛行隊長、同年ハワイ攻撃飛行機隊総指揮官をつとめ、海軍中佐。17年ラバウル方面作戦、ポートダーウィン作戦、インド洋方面作戦、ミッドウェー作戦に参加するが、負傷し入院。18年第一航空艦隊参謀となり、「あ号作戦」に参加。19年連合艦隊参謀・南方総軍参謀となり、海軍大佐に進む。戦後復員省史実調査部員となり、23年占領軍総司令部歴史課に嘱託として勤務。その後キリスト教に入信し、欧米諸国を遍歴して福音伝道に従事、42年郷里に帰り、農耕に従事した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「淵田美津雄」の解説

淵田美津雄 ふちだ-みつお

1902-1976 昭和時代軍人
明治35年12月3日生まれ。昭和16年12月8日空母赤城の飛行総隊長として真珠湾攻撃を指揮した。19年連合艦隊参謀,のち海軍総隊航空参謀を兼任。海軍大佐。昭和51年5月30日死去。73歳。奈良県出身。海軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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