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添田啞蟬坊 そえだあぜんぼう

世界大百科事典 第2版の解説

そえだあぜんぼう【添田啞蟬坊】

1872‐1944(明治5‐昭和19)
演歌師。本名平吉。神奈川県大磯の農家に,利兵衛・つなの次男として生まれた。1885年(明治18)上京して船員労務者などをしていたが,90年街頭で壮士たちが歌う愛国調の演歌に感激して職業演歌師となった。日清戦争前後に,北陸をはじめ地方を巡演するなかから民謡調のメロディを自作にとりいれるようになり,99年に横江鉄石と共作した《ストライキ節》が最初のヒット作となった。日露戦争下に堺利彦から依頼されてつくった《ラッパ節》が戦後にかけて大流行となり,その新作をかさねるうちに社会主義を信条とするにいたり,《ああ金の世》《ああわからない》《増税節》などで大正初年にかけての大衆歌謡をリードした。

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世界大百科事典内の添田啞蟬坊の言及

【流行歌】より

…流行歌をはやらせる根本的な力は,それぞれの時期における国民感情で,封建時代の落書(らくしよ)のような世相批判的なユーモア文学もあるとともに,時事や社会事件あるいは社会的流行や流行語などから受けた衝撃的な印象をうわさ話のように伝えるだけの素朴な歌詞をもつものもあり,そのほか歌詞とはとくに関係なく新奇な節や言葉をたのしむものがあって,流行歌の歌詞をすべて世相の反映であるとか,大衆の生活上の欲求の表現であるとかいえない実例が多い。 〈演歌〉という名称の,世相批判的な歌詞をもつ流行歌を作りつづけた添田啞蟬坊(そえだあぜんぼう)などはむしろ特殊な例で,多くの流行歌は単に場当りをねらったものであり,新奇さのゆえに流行し,古くなれば葬られていくという程度の,積極的に世相を批判するのではなく,消極的に世相の波にただよって大衆にとりいったものというほうが真相に近い。 流行歌の形態は伝達の方法に大きく作用される。…

※「添田啞蟬坊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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