日本歴史地名大系 「清永村」の解説 清永村きよながむら 福井県:坂井郡坂井町清永村[現在地名]坂井町清永九頭竜(くずりゆう)川と兵庫(ひようご)川の堤防に囲まれた鬼辺(きべ)(木部)輪中内集落の一。兵庫川左岸の自然堤防に沿ってある。兵庫島(ひようごしま)村の東に位置する。地字に南垣内・西垣内・中垣内・北垣内などがある。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では上木部(かみきべ)庄に含まれ、正保郷帳に「清長村」とみえ、田方八五六石余・畠方四八五石。「越前国名蹟考」では鬼部郷一七ヵ村に含まれている。貞享三年(一六八六)福井藩領から幕府領となり、元禄一〇年(一六九七)葛野藩領となったが、明和元年(一七六四)以降三河国西尾藩領、寛文八年(一六六八)の越前組頭切村附高帳(内藤家文書)によれば、当村理右衛門は福井藩領の組頭として当村のほか兵庫島村・折戸(おりと)村・蛸渡(たこわたり)村および辻(つじ)村・大牧(おおまき)村・西長田(にしながた)村(現春江町)の七ヵ村を管轄している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by