渋谷宮益町(読み)しぶやみやますちよう

日本歴史地名大系 「渋谷宮益町」の解説

渋谷宮益町
しぶやみやますちよう

[現在地名]渋谷区渋谷一―二丁目

矢倉沢やぐらさわ往還(大山道)両側に沿う年貢町屋。北は御嶽みたけ権現社地・別当学宝院と上渋谷村など、西は渋谷川(赤羽川)を限り、南は中渋谷村・妙祐みようゆう寺、東は但馬出石藩仙石家下屋敷、東から北は旗本屋敷。文政町方書上によると古くは渋谷村総石高のうちで、時期は不明であるが百姓町屋を作って同村より高分けし、渋谷新町と称した。承応元年(一六五二)までは代官支配であったが、同二年旗本島田領となり、元禄一一年(一六九八)代官支配となって同一三年鎮守の御嶽権現にちなんで宮益町と改称

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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