湍下郷(読み)せのしもごう

日本歴史地名大系 「湍下郷」の解説

湍下郷
せのしもごう

和名抄」高山寺本には「湍下」、東急本には「端下」とあり、ともに訓を欠く。「日本地理志料」は高山寺本に従い、高湍たかせを上・下二郷に分けたものとみて「多加世乃志母」とするが検討を要する。「大日本地名辞書」は「端」は「湍」の誤りで「セノシモ」と読み、旧富岡町の瀬下せじも(現富岡市)を遺名とする。「保元物語」に「瀬下の太郎」、「吾妻鏡」に「瀬下四郎広親」らがみえるが、この地に台頭し活躍した武士であろうか。文明一八年(一四八六)富岡辺を通った聖護院道興の「廻国雑記」に「この坊を立て宮の市、せしもの原、しほ川、しろいし、いたづら野、あひ川、かみ長川などさまざまの名所を行々て」とあり、「宮の市」(現富岡市一ノ宮)から「しほ川」(現多野郡吉井町塩川)に至るまでの間に「せしも原」がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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