黒川(読み)くろかわ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

黒川
くろかわ

新潟県北部,胎内市の中・南部を占める旧村域。飯豊山地の西斜面,胎内川の上・中流域に位置する。 1901年村制。 2005年中条町と合体して胎内市となった。胎内川の治水・電源開発が進むにつれて観光地に発展した。奇勝樽ヶ橋もある。転作によるソバの栽培が行なわれる。南部は磐梯朝日国立公園,中部は胎内二王子県立自然公園に属する。塩谷にあった黒川油田は 1981年操業を停止したが,伝統の燃水祭が毎年7月に行なわれている。

黒川
くろかわ

秋田県中部,秋田市北部の集落。近くの草生津 (くそうず) 川にかけては,古くから多数の油徴が認められ,明治初期から油田開発計画があった。 1913年大噴油 (日産 1500kl) が発見され一時は活況を呈したが,年々産油量は減少した。現在も採油が続けられている。

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日本の地名がわかる事典の解説

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

黒川
くろかわ

新潟県北部、北蒲原郡(きたかんばらぐん)にあった旧村名(黒川村(むら))。旧黒川村は2005年(平成17)北蒲原郡中条(なかじょう)町と合併し市制施行、胎内市(たいないし)となり、胎内市の南部、胎内川の中・上流域を占める観光山村。胎内川扇頂(せんちょう)右岸の黒川地区が平地である以外は、飯豊(いいで)山地の谷底山村が主体。越後(えちご)の「燃ゆる水」(石油)の献上地といわれ、地名は黒い流れの川の意から発生したといわれている。近世は黒川藩(1万石)領。大正時代には山麓(さんろく)で黒川油田の開発も行われた。国道7号と290号が通じる。上流の胎内川ダムは、1959年(昭和34)の県営の電源開発工事で景勝地となり、また胎内二王子県立自然公園にも指定され、飯豊山の登山口にあたる。国民宿舎胎内パークホテルやスキー場があり観光化が進んでいる。[山崎久雄]

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精選版 日本国語大辞典の解説

くろかわ くろかは【黒川】

[一] 山形県東田川郡引町の地名。黒川能で知られる。
[二] 謡曲。五番目物。廃曲。金春禅鳳作。奥州の黒川遠江守は会津豊前守と戦い、決戦の前夜、八幡大菩薩の霊夢をうけ、家宝の太刀を焼いて泰山府君(たいざんぶくん)をまつる。翌日黒川勢は泰山府君の力添えで会津方を破る。

くろかわ くろかは【黒川】

姓氏の一つ。

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世界大百科事典内の黒川の言及

【会津藩】より

…陸奥国若松に藩庁をおいた藩。1589年(天正17)中世会津を支配した蘆名氏を破り,この地を領した伊達氏はまもなく去り,90年蒲生氏郷が90万石の領主として黒川の地に入った。黒川は15世紀後半から蘆名氏の城下町として発展してきていたが,氏郷は城と城下の本格的経営にのりだし,外郭を新設,郭内も整備,侍屋敷と町屋敷を画然と区別,郷里近江国蒲生郡若松の森にちなんで,この地を若松と改めた。…

【若松】より

…現在の福島県会津若松市の中心部。1189年(文治5)源頼朝の奥州攻めの勝利によって会津に所領を与えられた三浦一党の佐原氏は,のち蘆名氏を名のり,14世紀,直盛のとき小高木(現在の若松城跡)に館を造り,東黒川館と称し住したという。黒川を拠点に中世会津を支配した蘆名氏は,1589年(天正17)伊達政宗に滅ぼされ,政宗もまた1年余で米沢へ去った。…

※「黒川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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