黒川(読み)クロカワ

デジタル大辞泉 「黒川」の意味・読み・例文・類語

くろかわ〔くろかは〕【黒川】

姓氏の一。
[補説]「黒川」姓の人物
黒川紀章くろかわきしょう
黒川利雄くろかわとしお
黒川春村くろかわはるむら
黒川博行くろかわひろゆき
黒川真頼くろかわまより

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精選版 日本国語大辞典 「黒川」の意味・読み・例文・類語

くろかわくろかは【黒川】

  1. [ 一 ] 山形県東田川郡引町の地名。黒川能で知られる。
  2. [ 二 ] 謡曲。五番目物。廃曲。金春禅鳳作。奥州の黒川遠江守は会津豊前守と戦い、決戦の前夜、八幡大菩薩の霊夢をうけ、家宝の太刀を焼いて泰山府君(たいざんぶくん)をまつる。翌日黒川勢は泰山府君の力添えで会津方を破る。

くろかわくろかは【黒川】

  1. 姓氏の一つ。

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日本歴史地名大系 「黒川」の解説

黒川
くろかわ

[現在地名]小松町石鎚

村の東端、加茂かも川が新居にい大保木山おおふきやま村字細野ほその(現西条市大保木)に流れ込む郡境に位置する地名。奥前神おくまえがみ社付近に発源する黒川谷が、行者堂ぎようじやどうの近くを経て北流し加茂川に流入するが、南部上黒川かみくろかわ、北部を下黒川と称する。古くは黒河と表記された。

享禄(一五二八―三二)の頃剣山つるぎやま城に拠って活躍した黒川元春は土佐長宗我部氏の一族で、初め当地に来て黒川山城守通矩と協力、黒川と称したと伝えられ(伊予温故録)、黒川氏の発祥地とされる。

黒川には善光寺があったといわれ、「小松邑誌」に「黒川 本尊阿弥陀如来、伝言信濃善光寺前仏ナリシヲ善光寺ノ僧宜通ナル者携来ルト、宜通ノ入定セル地モアリ宜通ノ位牌ニ治承元年(中略)善光寺ニ文明一八年ノ鰐口有リ」とあり、その鰐口の銘文には、

<資料は省略されています>

とあったというが、寺も鰐口も現存しない。


黒川
くろかわ

日光市南部の鳴虫なきむし(一一〇三・五メートル)などを水源とし、おもい川に合流する。流路延長四三・七キロ、流域面積二三二・八平方キロ。川名は日光市小来川おころがわ地区にある黒沼にちなむと伝え、西を西黒川が流れる。黒沼は日光修験の僧衣を洗う場であったという。小来川地区は針葉樹林地帯でとくに県下有数の杉材産地となっている。西黒川を合せて鹿沼市域の板荷いたが地区に入ると狭隘部は断崖絶壁の奇岩をつくり、景勝地となっている。


黒川
くろかわ

小田深山おだみやま(現小田町)大野おおのはら(現東宇和郡野村町)に源を発し、村内を西から北東に貫流して面河おもご川に注ぐ急流で、明治四四年(一九一一)すでに黒川第一発電所ができた。「予松古跡俗談」に「柳井川村之内、黒川に薬師堂あり」として、

<資料は省略されています>

と記し、再建の由来を語る棟札の写を載せる。「寛文三癸卯暮春吉辰、郡奉行大西八右衛門正次、庄屋明神新右衛門惟良、村民」の名をあげているが棟札はもちろん、堂も現存しない。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒川」の意味・わかりやすい解説

黒川
くろかわ

新潟県北部、北蒲原郡(きたかんばらぐん)にあった旧村名(黒川村(むら))。旧黒川村は2005年(平成17)北蒲原郡中条(なかじょう)町と合併し市制施行、胎内市(たいないし)となり、胎内市の南部、胎内川の中・上流域を占める観光山村。胎内川扇頂(せんちょう)右岸の黒川地区が平地である以外は、飯豊(いいで)山地の谷底山村が主体。越後(えちご)の「燃ゆる水」(石油)の献上地といわれ、地名は黒い流れの川の意から発生したといわれている。近世は黒川藩(1万石)領。大正時代には山麓(さんろく)で黒川油田の開発も行われた。国道7号と290号が通じる。上流の胎内川ダムは、1959年(昭和34)の県営の電源開発工事で景勝地となり、また胎内二王子県立自然公園にも指定され、飯豊山の登山口にあたる。国民宿舎胎内パークホテルやスキー場があり観光化が進んでいる。

[山崎久雄]

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改訂新版 世界大百科事典 「黒川」の意味・わかりやすい解説

黒川[温泉] (くろかわ)

熊本県北部,阿蘇郡南小国町にある温泉。九重(くじゆう)山(久住山)西麓の瀬ノ本高原の西方約5kmに位置し,筑後川の上流田原川沿いの溶岩の裂け目や河床から湯が豊富に湧出している。食塩泉,硫黄泉,47~96℃。外傷に特効がある湯として知られる。1964年九州横断道路(やまなみハイウェー)が開通してから近代的な旅館がふえたが,地蔵湯,薬師湯などには古くから湯治場として利用されてきたなごりがある。
執筆者:


黒川(新潟) (くろかわ)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黒川」の意味・わかりやすい解説

黒川
くろかわ

新潟県北部,胎内市の中・南部を占める旧村域。飯豊山地の西斜面,胎内川の上・中流域に位置する。 1901年村制。 2005年中条町と合体して胎内市となった。胎内川の治水・電源開発が進むにつれて観光地に発展した。奇勝樽ヶ橋もある。転作によるソバ栽培が行なわれる。南部は磐梯朝日国立公園中部胎内二王子県立自然公園に属する。塩谷にあった黒川油田は 1981年操業を停止したが,伝統の燃水祭が毎年7月に行なわれている。

黒川
くろかわ

秋田県中部,秋田市北部の集落。近くの草生津 (くそうず) 川にかけては,古くから多数の油徴が認められ,明治初期から油田開発計画があった。 1913年大噴油 (日産 1500kl) が発見され一時は活況を呈したが,年々産油量は減少した。現在も採油が続けられている。

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百科事典マイペディア 「黒川」の意味・わかりやすい解説

黒川[温泉]【くろかわ】

熊本県阿蘇郡南小国町,九重山西麓にある国民保養温泉。含食塩硫黄泉。47〜96℃。療養向きのひなびた温泉であったが,九州横断道路開通後発展。豊肥本線豊後竹田町からバスが通じる。

黒川【くろかわ】

若松

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事典・日本の観光資源 「黒川」の解説

黒川

(群馬県桐生市)
ふるさといきものの里100選」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の黒川の言及

【白鳥[町]】より

…江戸時代に讃岐三白(砂糖,塩,木綿)の一つに数えられた白砂糖の精製を始めた向山(さきやま)周慶の旧宅が残り,周慶をまつる向良(こうら)神社もある。湊川上流には五名ダムが築造され,また支流の黒川の渓谷には黒川温泉(単純硫化水素泉,18℃)があって,一帯は東さぬき自然休養村に指定されている。【坂口 良昭】。…

【会津藩】より

…陸奥国若松に藩庁をおいた藩。1589年(天正17)中世会津を支配した蘆名氏を破り,この地を領した伊達氏はまもなく去り,90年蒲生氏郷が90万石の領主として黒川の地に入った。黒川は15世紀後半から蘆名氏の城下町として発展してきていたが,氏郷は城と城下の本格的経営にのりだし,外郭を新設,郭内も整備,侍屋敷と町屋敷を画然と区別,郷里近江国蒲生郡若松の森にちなんで,この地を若松と改めた。…

【若松】より

…現在の福島県会津若松市の中心部。1189年(文治5)源頼朝の奥州攻めの勝利によって会津に所領を与えられた三浦一党の佐原氏は,のち蘆名氏を名のり,14世紀,直盛のとき小高木(現在の若松城跡)に館を造り,東黒川館と称し住したという。黒川を拠点に中世会津を支配した蘆名氏は,1589年(天正17)伊達政宗に滅ぼされ,政宗もまた1年余で米沢へ去った。…

※「黒川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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