日本歴史地名大系 「湯岳村」の解説 湯岳村ゆたけむら 長崎県:壱岐郡芦辺町湯岳村[現在地名]芦辺町湯岳、石田(いしだ)町湯岳興触(ゆたけこうふれ)・湯岳射手吉触(ゆたけいてよしふれ)深江(ふかえ)村の西に位置し、北に鉾の木(ほこのき)山、西に角上(つのかみ)山がある。湯岳興触に壱岐国府があったとする見解、あるいは国分(こくぶ)地区から湯岳興触に移ったとする説などがある。湯岳村はもと「興村」と称したと伝えるほか(伊能忠敬測量日記)、深江田(ふかえた)原がかつて入江であったことが海上交通の要所であったことを想定させ、また印鑰(いんにやく)大明神とも称した興(こう)神社や総社(そうじや)神社が鎮座していることも興味深い。興の地名を国府の転訛とみる説もある。興神社を「延喜式」神名帳記載の石田郡一二座の一つ「天手長男(アメタナカヲノ)神社」に比定する説がある。またトカミ山に鎮座する塗神(現角上神社)は「延喜式」神名帳に記される壱岐郡一二座の一つ「角上(ツノカムノ)神社」(一本はツノヘの訓を付す)に比定する説がある(「一宮巡詣記」「壱岐神社誌」など)。嘉祥三年(八五〇)「壱岐嶋角上神」は官社に列している(「文徳実録」同年六月四日条)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by