日本歴史地名大系 「湯谷山城跡」の解説 湯谷山城跡ゆたにさんじようあと 福井県:小浜市遠敷村湯谷山城跡[現在地名]小浜市遠敷・竜前湯屋谷(ゆやたに)城ともいう。多田(ただ)ヶ岳の枝峰が北に延びる山頂稜線上にある。先端郭は若狭姫神社の裏山(約八五メートル)で、南へ順次断続して六郭をつくり、主郭は竜前の裏山山頂(約二三六メートル)である。総延長は六〇〇メートルで、空堀・土塁を残し、西の多田を見下ろす九花(きゆうか)峰にも見張台をもち、広範囲の山城であった。城主は若狭守護武田氏の被官内藤下総守と伝える。内藤氏は永正年中(一五〇四―二一)若狭一二宮神官牟久慶繁に娘を縁づかせ(「若狭国鎮守一二宮社務代々系図」若狭彦神社文書)、遠敷(おにゆう)地域とかかわりをもっていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by