遠敷(読み)おにゅう

百科事典マイペディア 「遠敷」の意味・わかりやすい解説

遠敷【おにゅう】

古代以来の若狭国の地名で,現在も福井県遠敷郡があるほか,小浜(おばま)市に遠敷の大字がある。藤原宮跡出土木簡に〈小丹生評〉とみえるのが早い。713年の好字令で〈遠敷〉の表記に改められた。《和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)》は〈乎爾不〉と訓じる。遠敷郡は若狭国の中央に位置し,国府も置かれるなど同国の中心であった。中世松永(まつなが)保に属し,定期市(遠敷市庭)も開かれていた。遠敷市庭は1243年に太良(たら)荘(現小浜市)の百姓が銭を求めたかどで地頭から科料銭を取られたという〈市庭〉にあたるとされる。1334年には同荘の新検校(けんぎょう)・百姓らが〈遠敷市日〉に守護代配下の武士によって銭や絹・紺布・刀などを奪われているが,当時すでに定期市であったことが知られる。室町時代には〈日市〉となっている。要港小浜湊や鋳物師(いもじ)が居住する金屋(かなや)村(現小浜市)にも近く,同市ではさまざまな商品が流通したものと考えられる。近世遠敷村は古代遠敷郷の遺称地とされる。東西に丹後街道が通り,近江国に通じる針畑(はりはた)越の道が交差する交通の要地であった。針畑越の道に沿って遠敷川が流れ,一帯の谷を遠敷谷という。遠敷村には越前幸若舞の一派が居住し,幸福座と称した。大字遠敷地内には若狭姫(わかさひめ)神社・検見坂(けみざか)古墳群・湯谷山(ゆたにさん)城跡などがある。

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改訂新版 世界大百科事典 「遠敷」の意味・わかりやすい解説

遠敷 (おにゅう)

古代・中世の若狭の要地で,現福井県小浜市遠敷。《和名抄》に〈乎爾布〉〈乎布〉と訓ずる。古くから郡名ともなり,藤原宮址出土木簡に〈小丹生評〉と記すのが早い所見。伴信友《若狭旧事考》(1825)は〈美しき丹土の出る処〉が多いのによる地名とする。713年(和銅6)の好字令以後表記が改められたとみられる。古代の遠敷郷,のちの遠敷村の中心地で,東西に丹後街道が走り,近江に通ずる南北路(針畑越)と交差する付近。後者に沿い遠敷川が流れ,一帯の谷を遠敷谷という。近辺に検見坂(けみざか)古墳群(6世紀後半),若狭彦・姫神社(若狭一・二宮),国分寺などがあり,要港小浜にも近く,古くから市場が存在した。1243年(寛元1),太良荘(たらのしよう)百姓がそこで銭を求めたかどで地頭から科料銭をとられたという〈市庭〉は,これを指すとみられ,1334年(建武1)には,同荘百姓・新検校らが〈遠敷市日〉に守護代配下の武士によって銭貨・資財を奪われている(東寺百合文書)。早くも定期市化していたことが知られ,さらに1407年(応永14)10月14日からは〈日市〉となっていて(若狭国税所今富名領主代々次第),当時の盛況がしのばれる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「遠敷」の意味・わかりやすい解説

遠敷
おにゅう

福井県小浜市(おばまし)中部の一地区。旧遠敷村。古代は『和名抄(わみょうしょう)』の遠敷郷(ごう)の地で、遠敷郡の中心であったと思われる。若狭(わかさ)国(福井県南西部)二宮(にのみや)若狭姫神社がある。また、めのう細工の盛んな所としても知られる。

[印牧邦雄]


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