デジタル大辞泉
「小浜市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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小浜市
おばまし
面積:二三三・七二平方キロ
県の西南部、若狭のほぼ中央に位置。北は海に面し大島半島と内外海半島に抱かれた小浜湾が広がる。海岸線は若狭湾国定公園に含まれ、そのうち、内外海半島外周の約六キロは奇岩奇勝が連続、壮大な景観を呈するため若狭蘇洞門と名付けられて国の名勝に指定されている。内外海半島の最高峰久須夜ヶ岳(六一九・一メートル)は当市中央のほぼ真北にあり、多田ヶ岳(七一二・一メートル)が南にあって両山が南北の指標とされる。
市域南部は百里ヶ岳(九三一・三メートル)を主峰とする連峰が東西に延び四〇〇―六〇〇メートルの山岳地帯を形成。東部は箱ヶ岳(四〇二メートル)の山脈が北に走って先端が若狭湾に張出す田烏半島の黒崎・獅子ヶ崎に至る。西部は飯盛山(五八四・五メートル)西側の稜線が南北に走る。これらが東から西へ当市を囲む三方郡三方町・遠敷郡上中町・滋賀県高島郡・遠敷郡名田庄村・大飯郡大飯町との境をなす。
河川は滋賀県境に源を発して、鳥羽川・野木川・遠敷川などの支流を合わせて西流する北川、京都府との境を源流にして、坂本川・田村川などの支流を合わせてほぼ東北流し、湯岡で流路を西北に変えて小浜湾へ注ぐ南川があり、この二河川の中下流域に小浜平野が開ける。陸路は小浜平野の南側山裾を西に向かい、小浜市街地でやや曲折して大飯町へ抜ける丹後街道(国道二七号)、同街道から湯岡で分れ名田庄村を経て丹波へ向かう丹波道(名田庄街道ともいう。国道一六二号)が主要道である。
小浜の地名は文永二年(一二六五)三月の若狭中手西郷内検帳案(東寺百合文書)に「守国新田百廿歩小浜大入道」とみえるのが早く、同年一一月の若狭国惣田数帳写に「八幡宮二町七反 小浜」とある。ここでいう小浜がどの範囲をさすか明らかでないが、明治二二年(一八八九)成立の小浜町の区域よりさらに小範囲なものであったろう。なお現小浜市はかつての遠敷郡の中心地域を主とし、大飯郡の一部を含む。
〔原始〕
中名田地区の深野遺跡からは縄文前期の土器が出土、内外海地区の阿納尻遺跡では同じく縄文前期の石器・土器が大量に発見されている。縄文中期・後期では阿納塩浜遺跡、加斗地区飯盛の台場遺跡がある。弥生前期では阿納塩浜遺跡、中期・後期は宮川地区の加茂遺跡がある。古墳は宮川地区新保の竜泉寺山古墳群、国富地区の高塚古墳群が四世紀代と推定されて最も古く、五―七世紀頃のものは羽賀・次吉・栗田・太良庄・加茂・平野・太興寺・国分・金屋・多田・鯉川・堅海・泊の各地に点在、遠敷の検見坂古墳群は若狭最大の群集墳であり、平野の白鬚神社古墳は当市唯一の前方後円墳である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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小浜〔市〕
おばま
福井県西部,若狭湾にのぞむ市。 1951年小浜町と内外海 (うちとみ) ,松永,国富,遠敷 (おにゅう) ,今富,口名田,中名田の7村が合体して市制施行。 55年宮川,加斗両村を編入して現市域となる。市名は中世以来の地名。中心市街地は小浜湾に面し,古代から若狭国の中心であり,現市街地の東方に国府,国分寺,一宮があった。中世は守護代,近世は寛永 11 (1634) 年以降酒井氏の城下町として発展。日本海岸の商港としても栄えた。古くから京都の文化圏に含まれ,若狭街道,または堀越峠を越えて京と交流した。小浜湾にのぞむ小浜港は,若狭湾の中心的漁港で,アジ,サバ,イカ,カレイなどを水揚げする。電気,機械,水産加工などの工場があり,工業都市として発展。伝統工芸として瑪瑙 (めのう) 細工,若狭塗がある。国宝の本堂と三重塔をもつ明通寺や名勝万徳寺庭園,天然記念物万徳寺のヤマモミジ,史跡若狭国分寺跡,天然記念物小浜神社の九本ダモなどがある。海岸部に名勝若狭蘇洞門 (そとも) ,天然記念物蒼島 (あおしま) 暖地性植物群落,史跡岡津製塩遺跡がある。一帯は若狭湾国定公園に属する。湾岸部を JR小浜線,国道 27号線,162号線が通る。面積 233.11km2。人口 2万8991(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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