源懿子(読み)みなもとのいし

朝日日本歴史人物事典 「源懿子」の解説

源懿子

没年承暦2.12.29(1079.2.3)
生年:生年不詳
平安中期の女房。近江守などを務めた受領,源高雅の娘。一条天皇中宮,上東門院藤原彰子に仕える。万寿1(1024)年,正五位下。院典侍として活躍し,従三位に至る。また,妻をなくした藤原道長の子,権大納言長家に愛され,道家,忠家,祐家と次々に男子をもうけて,「さいわいびと」の評判をとったといわれる。長暦2(1038)年,長子道家の没後出家。しかし忠家,祐家は順次公卿へと昇進,長家も変わらぬ好意を寄せ続けたらしい。忠家の子孫に,和歌で名高い藤原俊成や同定家が出ている。

(西村さとみ)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

関連語 藤原懿子

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源懿子」の解説

源懿子(1) みなもとの-いし

?-1079* 平安時代中期の女官
父は藤原道長の家司,中宮亮(ちゅうぐうのすけ)源高雅。母は藤原基子。上東門院彰子につかえる。従三位,典侍。中将の君,院の典侍と称される。藤原長家の妻となり藤原道家,忠家,祐家らを生んだ。承暦(じょうりゃく)2年12月29日死去。名は「よしこ」ともよむ。

源懿子(2) みなもとの-いし

藤原懿子(ふじわらの-いし)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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