中将(読み)チュウジョウ

デジタル大辞泉 「中将」の意味・読み・例文・類語

ちゅう‐じょう〔‐ジヤウ〕【中将】

軍人階級の一。将官の第二位で、大将の下、少将の上。
律令制で、近衛府このえふ次官。少将の上で、少将とともに次将またはすけともいう。従四位下相当官だが、三位で任ぜられることも多い。蔵人頭くろうどのとうを兼ねる者を頭の中将という。
能面の一。色白で、まゆずみをつけた貴公子の面。在原業平ありわらのなりひら在五中将)を模したものという。

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精選版 日本国語大辞典 「中将」の意味・読み・例文・類語

ちゅう‐じょう‥ジャウ【中将】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 奈良・平安時代以降、少将とともに左右近衛府の次官。正と権(ごん)とあり、大将の次位、少将の上位。従四位下相当官。ただし、三位で任ぜられる者も多く、参議でこれを兼任するのが常例。また、蔵人頭(くろうどのとう)を兼ねる者を頭の中将という。また、外衛府や近衛府の前身である授刀衛・中衛府の次官。
    1. [初出の実例]「改授刀衛近衛府、其官員、大将一人、為正三位官、中将一人、為従四位下官」(出典:続日本紀‐天平神護元年(765)二月甲子)
    2. 「実朝先はこれよりさきに、中納言中将申てなりぬ」(出典:愚管抄(1220)六)
  3. 女房の呼び名。
    1. [初出の実例]「渡殿に中将といひしが局したるかくれにうつろひぬ」(出典:源氏物語(1001‐14頃)帚木)
  4. 能面の一つ。色白く黛(まゆずみ)をつけ殿上人容貌をした男面。在五中将といわれた在原業平を模したといわれるところからの名。「小塩(おじお)」「雲林院(うんりんいん)」など公卿が後シテとなるものや、「清経(きよつね)」「忠度(ただのり)」など平家の公達が後シテとなる能に用いられる。〔八帖花伝書(1573‐92)〕
    1. 中将<b>③</b>
      中将
  5. 軍隊の階級の一つ。将官の第二位。大将の下、少将の上。
    1. [初出の実例]「聯隊を合する者を『ブリガード』と云〈略〉『ブリガード』を合する者を『ジビジョン』と云〈略〉中将の司令する所の者也」(出典:建白書(1873)〈山田顕義〉上)

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朝日日本歴史人物事典 「中将」の解説

中将

生年生没年不詳
戦国から江戸時代初期にかけての武家女性。市川元利の妻。毛利輝元より側室二ノ丸殿付の女房を命ぜられ,秀就誕生のときよりその養育を担当,「行儀」を教え,老年まで仕えた。輝元から80石を給与され,のち30石は召し上げられたが50石の地は長門国(山口県)大津郡にあり,秀就の承認を得て孫市川就利に譲与された。その後30石を返され,80石の知行地が市川氏に伝領される。中将が育てた自らの孫は,16歳で秀就に出仕している。<参考文献>『萩藩閥閲録』

(田端泰子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中将」の解説

中将 ちゅうじょう

?-? 織豊-江戸時代前期の女性。
長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩主毛利秀就(ひでなり)(1595-1651)の養育を担当し,終生つかえた。

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世界大百科事典(旧版)内の中将の言及

【能面】より

…瘦男(やせおとこ)や蛙(かわず)は死相を表し,三日月や阿波男,怪士(あやかし)などは神性の表現に特徴がある。平太(へいた)と中将は特に武将の霊に用い,頼政や景清,俊寛など特定の人物への専用面も現れた。喝食(かつしき),童子など美貌若年の面のなかにも,蟬丸や弱法師(よろぼし),猩々(しようじよう)といった特定面ができてくる。…

※「中将」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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