源藤村(読み)げんどうむら

日本歴史地名大系 「源藤村」の解説

源藤村
げんどうむら

[現在地名]宮崎市月見つきみおか五―六丁目・源藤町

古城ふるじよう村の東に位置する。宮崎郡に属し、北・東は那珂郡恒久つねひさ村、南は加納かのう(現清武町)。ほぼ南北に飫肥おび街道が通る。天正一六年(一五八八)八月四日の日向国知行方目録に源藤六〇町とあり、高橋元種領となっている。同一八年八月伊東祐兵は当地の初瀬山長命ちようめい寺観音堂に立籠った義賢(祐兵の兄義益の遺子)派三六人に対し、曾井そいをはじめ紫波須崎しわすざきなどからも軍勢を集め合戦に及び、二四人を討取っている(日向記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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