日向地誌(読み)ひゆうがちし

日本歴史地名大系 「日向地誌」の解説

日向地誌
ひゆうがちし

五七巻五六冊 平部南著

原本 東京大学史料編纂所(地誌村誌五二巻五二冊・地誌郡誌五巻四冊、計五六冊)

写本 県立図書館(ただし三種類あり、いずれも欠本あり)

解説 平部南は幕末の飫肥藩家老、明治二年には飫肥藩大参事を歴任。同七年三月地誌編輯掛に任ぜられたが、飫肥藩最後の藩主であった伊東祐帰危篤による上京のため一時地誌編輯掛を辞任。同八年一二月再び地誌編輯取調掛に任命された。同九年八月宮崎県が廃され、鹿児島県に合併となった一〇月地誌編輯掛になる。西南戦争のため一時地誌編輯取調猶予となるが、同一一年四月宮崎支庁より地誌編輯再開の通達を受ける。同一六年五月宮崎県の再置によって同年七月宮崎県雇庶務課編輯掛地誌編集担当を命じられた。「悉皆実地」の方針のもとに編集された「日向地誌」は同一七年七月に完成南七〇歳)、宮崎県当局は同一八年三月「日向地誌」五六冊を内務省地理局長に送っている。宮崎県全域を取扱った最初の地誌で、五郡三七六ヵ村に及ぶ。内容は郡町村の区域・管轄・里程・地味・地勢・沿革・税地・字地・官有地貢租戸数人数・牛馬・湖沼・道路古跡名勝物産民業などあらゆる分野にわたって編集されており、宮崎県の歴史・文化・地理・産業・交通などの研究の必携の書である。なお南は同二三年一〇月二六日七六歳没。墓は日南市旧報恩寺内にある。

活字本 昭和四年刊、同五一年復刻


日向地誌
ひゆうがちし

五七巻五六冊 平部南著

成立 明治一七年

原本 東京大学史料編纂

写本 宮崎県立図書館・鹿児島県立図書館(一部)

解説 現在の宮崎県全域と鹿児島県の一部を対象とした総合地誌。幕末の飫肥藩家老平部南は、明治になって日向地域の地誌編集掛に任ぜられて調査や準備を進め一部は稿を起こしていた。明治一六年宮崎県の再置直後に県庁庶務課編集掛となり、旧日向国郡村の地誌編集を命じられたのを機に本格的な編纂に取りかかり、翌一七年七月までに完成させた。翌一八年宮崎県から内務省に提出され、現在は東京大学史料編纂所(地誌村誌五二巻五二冊・地誌郡誌五巻四冊)に引継がれている。項目や形式は同時期に成立した「鹿児島県地誌」とほぼ同じである。「鹿児島県地誌」と「日向地誌」の編纂が進められていた当時、旧日向国志布志・大崎・松山(現鹿児島県)の三郷は南諸県郡に所属し鹿児島県管轄にあったが、これらの地域の地誌編纂は以前から諸県郡の一部として取扱う方針であったため、宮崎県側の地誌に収められることになった。

活字本 「日向地誌」昭和四年刊(同五一年復刻)・「鹿児島県地誌下」(鹿児島県史料集一七)に一部(現鹿児島県域分)収載(叙言・巻五・巻四九・巻五〇・巻五一・巻五二)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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