朝日日本歴史人物事典 「滋野縄子」の解説
滋野縄子
9世紀の仁明天皇の侍女(女御とも)。名は「ただこ」とも。参議滋野貞主の長女。本康親王,時子内親王,柔子内親王と天長10(833)年5月に6歳で夭折した皇子を生んだ。承和3(836)年4月無位から正五位下を授けられ,その後従四位上に上った。性格はなごやかで素直であり,立ち居振る舞いが端正であったので,天皇にことのほか愛されたという。また妹奥子は文徳天皇の後宮にあって,美貌でよく女の道を修めていたので天皇に愛され,惟彦親王,濃子内親王,勝子内親王を生んだ。時の人は,貞主が皇子を外孫に持ち,一家が繁栄したのは貞主の慈仁によるものと評した。
(梅村恵子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報