滋野貞主(読み)シゲノノサダヌシ

デジタル大辞泉 「滋野貞主」の意味・読み・例文・類語

しげの‐の‐さだぬし【滋野貞主】

[785~852]平安初期の学者文章生もんじょうしょう及第し、累進して参議となり、勅命を奉じて「秘府略」「経国集」の撰定に参加した。

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精選版 日本国語大辞典 「滋野貞主」の意味・読み・例文・類語

しげの‐の‐さだぬし【滋野貞主】

  1. 平安初期の漢学者。尾張守家訳の子。文章生大内記(だいないき)東宮学士歴任。のち累進して宮内卿、正四位下に叙せられ、相模守を兼ねた。「経国集」「秘府略」を撰上。延暦四~仁寿二年(七八五‐八五二

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改訂新版 世界大百科事典 「滋野貞主」の意味・わかりやすい解説

滋野貞主 (しげののさだぬし)
生没年:785-852(延暦4-仁寿2)

平安初期の学者。滋野家訳の子。807年(大同2)文章生に及第。821年(弘仁12)東宮学士となり,842年(承和9)累進して参議に列する。827年(天長4)に良岑安世らとともに《経国集》20巻を撰上し,831年には古今の文章を《秘府略》1000巻に撰集している。845年に便宜十四事を陳じ,849年(嘉祥2)には大宰府官人のことについて上表している。その死に際し人々はみな流涕愍惜したという。
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朝日日本歴史人物事典 「滋野貞主」の解説

滋野貞主

没年:仁寿2.2.8(852.3.2)
生年:延暦4(785)
平安前期の公卿,学者。尾張守家訳の子。曾祖父は天平時代「名儒」と称された楢原東人で,駿河守時代に出土した黄金を献上した功で勤(伊蘇志)臣を賜姓された。延暦17(798)年,父のときに滋野と改姓。大蔵卿などを歴任する一方,早くから詩才が認められ,勅撰漢詩集文華秀麗集』の編纂に加わり,同じく『経国集』を選上した。天長8(831)年には勅命により古今の文書を類聚した『秘府略』1000巻を編集するなど,9世紀における文化事業に実績を残した。私宅(「城南の宅」)は西寺(京都市南区)の南にあったが,家人奴婢の殺生を避けるために,承和11(844)年4月に寺に改め,慈恩寺と名づけて西寺別院としている。娘の縄子,奥子はともに仁明天皇の寵を受け,皇子女をもうけた。

(瀧浪貞子)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「滋野貞主」の意味・わかりやすい解説

滋野貞主
しげののさだぬし
(785―852)

平安前期の漢詩人。807年(大同2)文章生(もんじょうのしょう)となり、821年(弘仁12)『内裏式(だいりしき)』の撰上(せんじょう)に参画。827年(天長4)良岑安世(よしみねのやすよ)らとともに漢詩集『経国集(けいこくしゅう)』を撰進、4年後『秘府略(ひふりゃく)』1000巻を編纂(へんさん)。842年(承和9)式部大輔(だいぶ)、参議となる。844年に自宅を伽藍(がらん)に改造、慈恩寺と名づけた。850年(嘉祥3)正四位下に至り相模守(さがみのかみ)を兼任。作品は『凌雲集(りょううんしゅう)』以下の勅撰漢詩集に34首、『雑言奉和』に1首ある。仏教への志向が強く、表現に中国六朝(りくちょう)詩の影響がみられる。

[金原 理]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「滋野貞主」の解説

滋野貞主 しげのの-さだぬし

785-852 平安時代前期の公卿(くぎょう),漢詩人。
延暦(えんりゃく)4年生まれ。滋野縄子(つなこ)・奥子の父。東宮学士,式部大輔(だいぶ)などをへて,承和(じょうわ)9年(842)参議。その間,勅撰(ちょくせん)漢詩集「文華秀麗集」「経国集」や古今の文書を撰した「秘府略」1000巻の編修にくわわる。京都の私邸を寺にし慈恩院を創建。「凌雲集」以下の勅撰漢詩集に34首のる。仁寿(にんじゅ)2年2月8日死去。68歳。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「滋野貞主」の意味・わかりやすい解説

滋野貞主
しげののさだぬし

[生]延暦4(785)
[没]仁寿2(852).2.10. 京都
平安時代前期の漢詩人。大内記や東宮学士を経て参議にいたったが,温雅で度量広く仁明天皇の信任が厚かった。漢詩文集『経国集』を撰進。特に天長8 (831) 年勅令によって諸儒とともに古今の文書を分類して『秘府略』 1000巻 (現存2巻) を編纂した功績は大きい。

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世界大百科事典(旧版)内の滋野貞主の言及

【経国集】より

…書名は,〈文章は経国の大業,不朽の盛事〉という魏の文帝の〈典論・論文〉による。淳和天皇の勅を奉じ,良岑安世(よしみねのやすよ)が滋野(しげの)貞主,南淵弘貞,菅原清公ら数名とともに協議して編集したもの。体裁分類など《文選》を学ぶ。…

【秘府略】より

…多くの典籍(漢籍)から関連する記文を抽出し,部類を立て,書名を示して引載してある。831年(天長8)滋野貞主らが勅を奉じて編集した。《太平御覧》のもとになった類書を中心とし,《芸文類聚》《初学記》《翰苑》など先行の同種の書物を集成したものらしい。…

※「滋野貞主」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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