瀬頭村(読み)せがしらむら

日本歴史地名大系 「瀬頭村」の解説

瀬頭村
せがしらむら

[現在地名]宮崎市瀬頭一―二丁目・堀川町ほりかわちよう永楽町えいらくちよう吾妻町あづまちよう昭和町しようわちよう前原町まえばるちよう出来島町できじまちよう高洲町たかすちよう小戸町おどちようみなと松山まつやま一―二丁目

上別府かみべつぷ村の南東に位置し、南は大淀川を挟んで恒久つねひさ村。南北に往還道が通る。大淀川には恒久村じようさき町に至る城ヶ崎渡場があった。江戸時代は恒久村の一部。飫肥藩領で、那珂郡清武きよたけ郷に属した。文化七年(一八一〇)の書上(日向国史)でも恒久村に含まれ、瀬頭の戸数二八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 日向国史 松山

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む