瀬高横手庄(読み)せたかよこてのしよう

日本歴史地名大系 「瀬高横手庄」の解説

瀬高横手庄
せたかよこてのしよう

瀬高庄の一部にあたるとみられるが、成立の時期・経緯などは不明。建仁元年(一二〇一)の高良宮造営田数注文には瀬高上庄に続いて「同横手庄二百町」とあり、高良こうら上宮(現久留米市)宝殿造営料を課されていた。康永三年(一三四四)正月二七日の文殿廻文案(師守記紙背文書/南北朝遺文(九州編)二)によれば瀬高横手庄をめぐってなんらかの相論があったとみられ、翌月一日御前評定で裁定が下されるため、訴陳者双方が文書正文を持参して文殿に出頭するよう命じられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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