日本歴史地名大系 「三橋町」の解説 三橋町みつはしまち 福岡県:山門郡三橋町面積:一六・八九平方キロ山門郡北西端に位置し、東は瀬高(せたか)町、西は柳川市、南は大和町、北は筑後市・三潴(みづま)郡大木(おおき)町に接する。北部を矢部(やべ)川支流沖端(おきのはた)川が東から西へ流れ、南東境を矢部川が蛇行しながら南西へ流れる。中央部を沖端川から分れた塩塚(しおつか)川が南西へ流れる。町域の標高は五・六―三・一メートルで、ほとんど高低差がない。西部を南北に西鉄天神大牟田(てんじんおおむた)線が通り、西鉄柳川(にしてつやながわ)駅・矢加部(やかべ)駅がある。同線西側をほぼ南北に国道二〇八号、ほぼ中央部を東西に国道四四三号が通る。町域内には弥生―古墳時代の遺跡が点在し、昭和五四年(一九七九)には現正行(まさゆき)地区から礎板が出土している。律令制下では山門郡に属した。条里が敷かれ、土地改良事業が行われる以前はその跡をうかがわせるクリークもみられた。 三橋町みつはしまち 福井県:福井市福井城下三橋町[現在地名]福井市照手(てるて)一―二丁目夷(えびす)町の西方にあり、東西に延びる町で、北裏に下寺(しもてら)町がある。福井城下の北西方、坂井郡本郷(ほんごう)谷・下浦(しもうら)方面に延びる浦方(うらかた)街道の、城下三橋口にあたり、三橋村のうちに開かれた町。町名は町内にあった法興(ほうこう)寺の山号三橋山に由来する。慶長年間北庄四ツ割図に町名がみえ、家数五七。貞享二年(一六八五)福居御城下絵図では上下の二町に分れ、下三橋町を北に折れると三橋横町がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by