熊倉啓安(読み)クマクラ ヒロヤス

20世紀日本人名事典 「熊倉啓安」の解説

熊倉 啓安
クマクラ ヒロヤス

昭和・平成期の平和運動家 元・日本平和委員会事務局長。



生年
昭和2(1927)年5月22日

没年
平成7(1995)年3月9日

出生地
栃木県佐野市

学歴〔年〕
東京大学経済学部〔昭和25年〕中退

経歴
東大在学中、初期全学連の中央執行委員を努め、昭和25年10月レッドパージ反対闘争で退学処分。復学せず全学連を代表して平和擁護日本委員会(後の日本平和委員会)に参加、世界平和評議員として28年から専従活動。安保闘争後、36〜49年日本平和委員会事務局長となり、新たに基地闘争の全国組織一体化を図り、第1回原水禁世界大会を準備段階から組織、50年原水禁統一問題懇談会座長の1人として活動した。51年6月まで日本平和委員会副理事長・日本原水協担当常務理事。著書に「戦後平和運動史」「日本平和運動の歴史と伝統」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「熊倉啓安」の解説

熊倉啓安 くまくら-ひろやす

1927-1995 昭和後期-平成時代の社会運動家。
昭和2年5月22日生まれ。昭和25年レッドパージ反対闘争で東大を退学処分。30年の第1回原水禁世界大会の開催尽力基地反対闘争,安保反対闘争などにもかかわり,36年日本平和委員会事務局長となる。平成7年3月9日死去。67歳。栃木県出身。著作に「戦後平和運動史」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「熊倉啓安」の解説

熊倉 啓安 (くまくら ひろやす)

生年月日:1927年5月22日
昭和時代;平成時代の平和運動家。日本平和委員会事務局長;日本原水協担当常務理事
1995年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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