日本歴史地名大系 「片淵村」の解説 片淵村かたふちむら 長崎県:長崎市片淵村[現在地名]長崎市片淵一―五丁目・新大工町(しんだいくまち)西山(にしやま)村の東にあり、西部を中島(なかしま)川支流の堂門(どうもん)川が流れる。同川には烏亀(すつぽん)淵・準提(じゆんてい)淵・苔木(こけき)淵・楠(くす)川・瓢箪(ひようたん)河などの淵がある。偏潭とも記す。はじめ大村藩領で、慶長一〇年(一六〇五)より幕府領で長崎代官支配となる。正保国絵図に片淵村として高一四〇石余。延宝五年(一六七七)片淵村の茂兵衛が対馬領田代(たしろ)(現佐賀県鳥栖市)の逃散百姓を請人もいないのに宿を貸したとして籠舎に処された(犯科帳)。元禄国絵図に村名がみえ、また春徳(しゆんとく)寺とある。寛延元年(一七四八)異国船来航に伴い薩摩鹿児島藩が派遣する名代が宿所に充てる用場所は小島(こしま)郷の今村某掛屋敷と片淵郷の林某掛屋敷と定められた(通航一覧)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by