長崎市(読み)ナガサキシ

デジタル大辞泉 「長崎市」の意味・読み・例文・類語

ながさき‐し【長崎市】

長崎

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日本歴史地名大系 「長崎市」の解説

長崎市
ながさきし

面積:二四一・二〇平方キロ

長崎県の南東部に位置する。北西部は西彼杵にしそのぎ半島の付根にわたって西彼杵郡外海そとめ町・琴海きんかい町と接し、北部は同郡時津とぎつ町・長与ながよ町・多良見たらみ町と接している。南部は長崎半島に及んで同郡三和さんわ町・香焼こうやぎ町と接し、またその沖合に同郡伊王島いおうじま町・高島たかしま町がある。東部は諫早いさはや市および北高来きたたかき飯盛いいもり町と境を接する。西部は東シナ海(角力灘)に臨み、南西に深く開いた湾入に長崎港が置かれ、これに流入する中島なかしま川・浦上うらかみ川の流域などに市街地を形成している。南東部は天草あまくさ灘に面する。市街地の周囲には丘陵が連なり、またおもな山嶺は市域の最高峰八郎はちろう(八九〇・一メートル)帆場ほば(五〇三・六メートル)のほかは、ひこ山・烽火ほうか(四二六メートル)金比羅こんぴら山・稲佐いなさ山・普賢ふげん(四三九メートル)岩屋いわや山など三〇〇―四〇〇メートル級にすぎないが、平坦地に乏しい地勢で、坂が多い。河川はほかに東部を八郎川とその支流平木場ひらこば川・正念しようねん川、西部は三重みえ川・多以良たいら川、南部は鹿尾かのお川・若葉わかば川などが流れる。市域の北部をJR長崎本線が通る。北東部には国道三四号があり、西部の海岸線を同二〇二号が通り、中央部から北部にかけては同二〇六号があり、これらは中央部で合流して同三二四号となっている。ほかに国道四九九号、主要地方道長崎―畝刈あぜかり線・東長崎―長与線、県道の長崎漁港―村松むらまつ線・かみしま飽の浦あくのうら線・くら田上たがみ線・深堀ふかほり―三和線などが通る。

〔原始・古代〕

旧石器時代の遺跡では柿泊かきどまり遺跡があり、ナイフ形石器文化の中期・後期と推定されている。長崎半島西手の海浜遺跡である深堀遺跡では第九層のうち第三群土器として分類された深鉢形土器があり、口縁部の文様に刺突文・押引文・沈線文・隆帯文を施したもので、縄文時代前期の轟式から曾畑式への移行期に位置付けられる。同遺跡では弥生時代前期に受容したとされる朝鮮半島系の無文土器が出土したほか、突帯文系土器や黒髪式土器など中九州系文化とのつながりが想定される土器や、南海産の貝輪をもつ人骨の出土も注目される。同中期の人骨二〇体も検出され、北九州の弥生人と異なり、顔面の幅が広いなどの特徴がみられる。

たちばな湾に浮ぶまき島にある曲崎まがりざき古墳群は古墳時代の積石塚墳墓群で、岬の全域にわたって九九基の積石塚、性格未詳の約五〇〇ヵ所の遺構(未調査)が確認される。六世紀前半頃、あるいは五世紀末の可能性もあり、橘湾海域を生活基盤とした同族的集団の墓地と考えられる。


長崎市
ながさきし

2005年1月4日:長崎市が西彼杵郡香焼町・伊王島町・高島町・三和町・野母崎町・外海町を編入
【長崎市】長崎県
【香焼町】長崎県:西彼杵郡
【伊王島町】長崎県:西彼杵郡
【高島町】長崎県:西彼杵郡
【三和町】長崎県:西彼杵郡
【野母崎町】長崎県:西彼杵郡
【外海町】長崎県:西彼杵郡


長崎市
ながさきし

2006年1月4日:長崎市が西彼杵郡琴海町を編入
【長崎市】[変更地名]長崎県
【琴海町】長崎県:西彼杵郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「長崎市」の意味・わかりやすい解説

長崎〔市〕
ながさき

長崎県南部,西彼杵半島の南部から長崎半島を占める中核市。南東で橘湾,南西で長崎湾,北東で大村湾に面し,池島香焼島,伊王島,高島,樺島などの島を含む。県庁所在地。1889年市制。1955年深堀村,福田村,日見村の 3村,1962年茂木町と式見村,1963年東長崎町,1973年三重村,2005年香焼町,伊王島町,高島町,野母崎町,三和町,外海町の 6町,2006年琴海町をそれぞれ編入。中心市街地は狭小な中島川および浦上川の流域を占め,住宅は山腹から山頂の平坦面に及んでいる。元亀2(1571)年ポルトガル船の入港以降,海外貿易港として急速に発展。鎖国の間も日本における唯一の開港場として繁栄した。江戸時代は天領。幕末に始まった造船業は三菱財閥に引き継がれ(→三菱長崎造船所。2015世界遺産),1955年頃のタンカー全盛期には世界随一の進水量を誇り,多くの関連工場群を立地するが,造船不況で機械器具などの部門への転換が進んでいる。長崎漁港は西日本最大規模の漁港で,水揚げの多くは北九州,関西,東京の大市場に送られる。北西部の三重には新長崎漁港がある。農村部ではミカン,スイカ,ビワが多く生産され,特にビワは全国的に有名。橘湾岸の漁業集落ではからすみを特産。大村湾の内湾である形上湾は第2次世界大戦前から真珠養殖が盛ん。18世紀初めから採炭の歴史があり,明治期以降はグラバー商会(→グラバー)との協同による本格的な海底炭層開発が始まった。香焼島,高島と端島(→高島炭鉱。いずれも国の史跡,2015世界遺産),伊王島,池島(→池島炭鉱)は一時は石炭産業で活況を呈したが,すべて閉鉱した。1945年8月浦上に投下された原子爆弾によって市の 2分の1が破壊され,15万人の死傷者を出した(→原子爆弾投下)。市街地は壊滅的な被害を受けたが復興し,国宝の大浦天主堂(2018世界遺産)や崇福寺,国指定重要文化財の興福寺や眼鏡橋,旧グラバー住宅(2015世界遺産),国指定史跡であるシーボルト宅跡や出島の和蘭商館跡,唐人屋敷といった異国情緒をもつ建造物が,国内外から多くの観光客を集めている。また浦上天主堂二十六聖人殉教地,外海の出津集落(しつしゅうらく)および大野集落(ともに2018世界遺産)などのキリシタン関連の史跡もある。長崎くんちの奉納踊は国の重要無形民俗文化財。南端の樺島のオオウナギ生息地,市街地付近にあるキイレツチトリモチ自生北限地は国の天然記念物(→ツチトリモチ)。市域の一部は野母半島県立自然公園西彼杵半島県立自然公園大村湾県立自然公園に属する。JR長崎本線の終点で,長崎電気軌道の路面電車が市内を走る。国道34号線,202号線,206号線,251号線,324号線,499号線が通じ,長崎自動車道のインターチェンジがある。長崎港から五島列島へ,茂木港から富岡(天草下島)へフェリーが運航。面積 405.86km2。人口 40万9118(2020)。

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