牛隈村(読み)うしくまむら

日本歴史地名大系 「牛隈村」の解説

牛隈村
うしくまむら

[現在地名]嘉穂町牛隈

貞月さだつき村の北に位置する。南東上下じようげ村の枝郷であったが、元和八年(一六二二)に分村したという(続風土記)本村と下牛隈・不動丸ふどうまる春田などに集落がある(続風土記拾遺)。康永三年(一三四四)二月三日の渋谷宗真譲状(岡元文書/南北朝遺文(九州編)二)に「筑前国駅家村内光清名号牛隈」とみえる。江戸時代は福岡藩領。元禄五年(一六九二)には牛隈村の高一千一四石余、人数三一〇(田圃志)。石高書上帳案の郡帳高も同じ。寛政期(一七八九―一八〇一)の家数六八・人数二四三、馬六・牛六一(別本「続風土記附録」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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