日本歴史地名大系 「嘉穂町」の解説 嘉穂町かほまち 福岡県:嘉穂郡嘉穂町面積:八七・三四平方キロ嘉穂郡の南東部に位置する。北は碓井(うすい)町・稲築(いなつき)町、東は山田市と田川郡川崎(かわさき)町・同郡添田(そえだ)町、南は朝倉(あさくら)郡小石原(こいしわら)村と甘木市・朝倉郡夜須(やす)町、西は筑穂(ちくほ)町・桂川(けいせん)町に接する。古処(こしよ)山(八五九・五メートル)・屏(へい)山(九二六・六メートル)・馬見(うまみ)山(九七七・八メートル)の連峰山麓にあり、連峰に源流をもつ遠賀(おんが)川・芥田(あくただ)川・千手(せんず)川の河川沿いに平野が広がる。町の中心部で国道二一一号と同三二二号が交差し、県道宮小路(みやしようじ)―中益(なかます)線、同高田(たかだ)―嘉穂線などが通る。古代嘉麻(かま)郡馬見郷(和名抄)が町域に比定される。平安時代には筥崎宮領益富(ますとみ)名があった。嘉穂地方の在地有力武士として千手氏がおり、現千手付近を本拠としていたと考えられる。南北朝期には南朝方として活躍しており、居城として千手城があった。千手氏は応仁の乱に際し大内氏に味方している。天正一五年(一五八七)三月二八日豊前小倉に入った豊臣秀吉は、丹波少将秀勝らに秋月種実がいた益富城を落させて入城した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by