牧野正蔵(読み)マキノ ショウゾウ

20世紀日本人名事典 「牧野正蔵」の解説

牧野 正蔵
マキノ ショウゾウ

昭和期の水泳選手



生年
大正4(1915)年

没年
昭和62(1987)年2月12日

出身地
静岡県浜名郡鷲津町(現・湖西市)

学歴〔年〕
早大卒業

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和50年〕,国際水泳殿堂入り〔平成3年〕

経歴
14歳で800メートルの日本新記録を出し、16歳で世界記録樹立。1932年ロス五輪1500メートル自由型で銀メダル、ベルリン五輪で銅メダルを獲得。日本窒素を経て、戦後電通入社、名古屋支社連絡支配人を務め、48年名電広告社(現・アド広告)社長就任。また古橋広之進、橋爪四郎らのコーチもつとめた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「牧野正蔵」の解説

牧野正蔵 まきの-しょうぞう

1915-1987 昭和時代前期の水泳選手。
大正4年5月15日生まれ。昭和7年中学生のとき第10回ロス五輪の1500m自由形で2位。翌年早大にすすみ,400mおよび800m自由形で世界記録を更新した。11年ベルリン五輪の400m自由形で3位。電通につとめ,23年名電広告社(現アド広告)社長。昭和62年2月12日死去。71歳。静岡県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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