20世紀日本人名事典 「玉之海代太郎」の解説
玉之海 代太郎
タマノウミ ダイタロウ
- 生年
- 大正12(1923)年1月2日
- 没年
- 昭和62(1987)年9月27日
- 出生地
- 大分市大手町
- 本名
- 三浦 朝弘(ミウラ トモヒロ)
- 別名
- 年寄名=片男波(カタオナミ)
- 経歴
- 二所ノ関部屋に入門し、昭和12年初土俵、27年新入幕。32年九州場所では前頭14枚目で全勝優勝。強引な投げや呼び戻しなどの荒っぽい取り口が多く“荒法師”の異名をとった。8年間の兵役のため出世が遅れたうえ、南方戦線で患ったマラリヤや肝臓、胆のうの病気に苦しめられて、最高位が関脇だったが、実力大関といわれた。通算成績303勝280敗。殊勲賞2回、敢闘賞3回。36年春場所で引退し、片男波部屋を創立。横綱玉の海、関脇玉ノ富士らを育てた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報