玉野新家村
たまのしんけむら
[現在地名]加西市玉丘町
玉野村の西、中播丘陵の北部に位置する。玉野村の枝郷。「播磨国風土記」賀毛郡楢原里の条にみえる玉丘の遺称地とされる。のちの仁賢・顕宗両天皇がともに皇子の時、国造許麻の娘根日女命に求婚し、根日女はそれに応じたが、二皇子は譲り合ってめとらず、根日女は年老いて死んだ。皇子らは大いに悲しみ、朝日夕日の隠れぬ好適の地に墓を造り、玉をもって墓を飾れと命じたので、墓に玉丘の名がついたという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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