現王島村(読み)げんのうじまむら

日本歴史地名大系 「現王島村」の解説

現王島村
げんのうじまむら

[現在地名]西都市現王島

黒生野くろうの村の南東に位置し、南西上田島かみたじま(現佐土原町)北東新田井倉にゆうたいくら(現新富町)で、南東端では佐土原さどわら城下(現佐土原町)に接していた。東を三財さんざい川が流れ、集落は中央を通る米良めら街道に沿って発達している。暦応二年(一三三九)七月八日の大友宗雄軍忠状(志賀文書)によると南朝方の肝付兼重与党が「現王城」に立籠ったため、北朝方の畠山直顕の指揮下にあった大友氏一族の志賀宗雄は同月四日同城を落し、翌五日には兼重方の追手と合戦し、同月一一日直顕から感状(森本文書)を与えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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