佐土原藩(読み)さどわらはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐土原藩」の意味・わかりやすい解説

佐土原藩
さどわらはん

日向(ひゅうが)国宮崎郡佐土原宮崎県宮崎市佐土原町)に藩庁を置く、薩摩(さつま)藩の支藩外様(とざま)。この地を領していた島津豊久(とよひさ)が関ヶ原の戦いで没したのち、大隅垂水(おおすみたるみ)の領主島津征久(以久)(ゆきひさ)が、那珂(なか)・児湯(こゆ)両郡に3万石を給されたのに始まる。5代惟久(ただひさ)代の1699年(元禄12)には城主列に加えられた。藩政は、初期以来、譜代(ふだい)門閥層の権力争いで動揺を極めたが、後期になっても家臣団の窮乏化を背景に、天明(てんめい)期(1781~89)の四口(しくち)騒動、文政(ぶんせい)期(1818~30)の鴫之口(しぎのくち)騒動などの党争が繰り広げられ、しばしば宗藩の介入を招いた。ようやく9代忠徹(ただゆき)代の1825年(文政8)に至って藩校学習館の創設、楮(こうぞ)買入れのための楮本銭(かじもとぜに)(藩札)の発行などによって士風の作興、藩財政立て直しが図られ、また10代忠寛(ただひろ)も嘉永(かえい)~安政(あんせい)期(1848~60)に郷学所の設置、検地、諸産物の奨励など、諸政の改革を行って内憂外患の克服に力を入れた。戊辰(ぼしん)戦争に際しては、宗藩とともに討幕軍として伊勢(いせ)・会津に転戦し、明治を迎えた。1871年(明治4)廃藩、佐土原県、美々津(みみつ)県、宮崎県、鹿児島県を経て、83年再置の宮崎県に編入された。

[上原兼善]

『喜田貞吉・日高重孝著『日向国史 下巻』(1930・史誌出版社)』『日高徳太郎著『佐土原藩史』(1960・私家版)』『『佐土原町史』(1982・佐土原町)』

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デジタル大辞泉プラス 「佐土原藩」の解説

佐土原藩

日向国、佐土原(現:宮崎県宮崎市)を本拠地とした外様の小藩薩摩藩の支藩。藩主は島津氏。

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