甚七町(読み)じんしちまち

日本歴史地名大系 「甚七町」の解説

甚七町
じんしちまち

[現在地名]大津市松本まつもと二丁目

治郎左衛門じろざえもん町を挟んで下平蔵しもへいぞう町の東にあるはま町通の両側町。東の肥前ひぜん町境を常世つねよ川が流れ、つるヶ関が置かれている。町名は川屋甚七の所持地であったことに由来するという。「輿地志略」に町名がみえ、当町まで浜町通と記す。南のなか町に通じる歯黒辻はぐろづしがある。宝暦一〇年(一七六〇)の「大津珍重記」によれば、当町稲荷いなり新地に料理茶屋街があり、遊女を置いていたらしい。「輿地志略」によれば、享保一二年(一七二七)から茶屋が置かれ始め、「遊女の類を隠しおく事もありとなむ」という。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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