肥前(読み)ヒゼン

デジタル大辞泉 「肥前」の意味・読み・例文・類語

ひぜん【肥前】

旧国名の一。西海道に属し、現在の佐賀県と、壱岐いき対馬つしまを除く長崎県にあたる。肥州。

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精選版 日本国語大辞典 「肥前」の意味・読み・例文・類語

ひぜん【肥前】

  1. 西海道一一か国の一国。古くは火(肥)国(ひのくに)の一部。大化改新後、肥前国(ひのみちのさきのくに)肥後国(ひのみちのしりのくに)に二分されて成立。鎌倉時代は武藤(少弐)・北条氏が守護。南北朝・室町時代には有馬大村・千葉・松浦龍造寺氏などが乱立。江戸時代は長崎が長崎奉行所の支配下に置かれたほか、唐津・佐賀・大村・小城島原などの諸藩に分かれる。明治四年(一八七一)の廃藩置県後、佐賀・長崎の二県となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「肥前」の意味・わかりやすい解説

肥前
ひぜん

佐賀県北西部、東松浦(ひがしまつうら)郡にあった旧町名(肥前町(ちょう))。現在は、唐津市(からつし)の西端部を占める地域。旧肥前町は1958年(昭和33)に入野(いりの)村と、切木(きりご)村の一部が合併して町制施行し、旧国名を町名とした。2005年(平成17)浜玉(はまたま)町、厳木(きゅうらぎ)町、相知(おうち)町、鎮西(ちんぜい)町、呼子(よぶこ)町、北波多(きたはた)村とともに唐津市に合併。旧町域は、壱岐(いき)水道に突き出た東松浦半島の西部にある。東の仮屋(かりや)湾と西の日比(ひび)水道に挟まれた小半島をなし、北西沖合いの向島(むくしま)を含む。西南は長崎県に相対し、元寇(げんこう)で知られる日比水道を隔てて鷹島(たかしま)が、また玄海国定公園(げんかいこくていこうえん)の多島海の景勝イロハ島を隔てて福島がある。中世は松浦党(まつらとう)諸氏の勢力圏、近世は唐津藩領域であった。玄武岩の俗称上場(うわば)台地が広がり、葉タバコなどの畑作ミカン園、さらに家畜飼育が目だつ。溺(おぼ)れ谷には高串(たかくし)ほか漁港が点在し、イワシ、タイ、イカ、アジなどの水揚げや、真珠、ハマチなどの養殖をみる。1957年大鶴(おおづる)炭鉱が閉山し過疎化が進んだが、国営土地改良事業や養殖業などが導入され、また国道204号が通じ観光開発も進む。高串アコウ自生北限地帯は国指定天然記念物。1895年(明治28)のコレラ流行の際、防疫に尽くし殉職した増田敬太郎巡査を警神として祀る増田神社がある。

[川崎 茂]

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百科事典マイペディア 「肥前」の意味・わかりやすい解説

肥前[町]【ひぜん】

佐賀県北西部,東松浦郡の旧町。東松浦半島の支半島を占め,上場(うわば)と呼ぶ玄武岩台地上でユリ根,タバコなどを特産。ミカン栽培,乳牛飼育が盛ん。アジ,タイ,イカなどの漁獲があり,真珠の養殖も行う。2005年1月東松浦郡浜玉町,厳木町,相知町,鎮西町,呼子町,北波多村と唐津市へ編入。46.64km2。9461人(2003)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「肥前」の意味・わかりやすい解説

肥前
ひぜん

佐賀県北部,唐津市西部の旧町域。東松浦半島の西部を占める。 1958年入野村が切木村の大部分を編入,同時に名称変更して町制。 2005年唐津市,相知町,北波多村,厳木町,鎮西町,浜玉町,呼子町と合体し唐津市となる。上場台地の続きで台地面が広く,畑作,畜産が行なわれ,1960年頃からミカンの栽培も増加。三方を海に囲まれ,沿岸部では養殖漁業が行なわれる。海岸近くの高串はアコウの自生北限地帯として,国の天然記念物に指定されている。海岸は出入りに富む景勝地で,玄海国定公園に属する。

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改訂新版 世界大百科事典 「肥前」の意味・わかりやすい解説

肥前 (ひぜん)

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