売春婦の古称。日本の文献に遊女のことが出るのは《万葉集》の遊行女婦(うかれめ)が最も古く,以後10~12世紀ころまでに,うかれめ,遊女(あそびめ)/(あそび),遊君(ゆうくん),および中国語の妓女(ぎじよ),娼女(しようじよ),傾城(けいせい)などの称が使われるようになった。以後これらの用語が併用されるなかで,遊女の語が音読して〈ゆうじょ〉となって広く用いられた。16世紀以後はさらに女郎(じよろう),おやま,花魁(おいらん)などの名称が加わった。当時はこれらの用語間に厳密な概念区分はなく俗語として混用されていたが,遊女はおもに公認遊郭における売春婦を意味し,なかでも上級のものをさして用いることが多かった。明治以後は公娼に対して娼妓(しようぎ)の官用語が定められたため,遊女とはいわなくなり,逆に遊女を近代以前の売春婦の総称として使用することがある。
日本において遊女がいつどのように発生したのかについては,史料的制約のため確定しがたい。いずれにしても,社会経済がある程度発展した段階でなければその存在は考えにくい。7~8世紀には上記の遊行女婦がいるので,起源はそれ以前であると想定できるであろうか。遊行女婦の生態はなお不鮮明な点が多いが,字の如く各地を遊行する漂泊民の一種であったと考えられる。この出現した遊女が拡大増加するのは意外に早かったようで,10世紀ころには都市や宿駅や寺社門前に定住する遊女も現れている。当時は遊女の出身も下層民とは限らず,上層階級出身の女もあり,招かれれば朝廷貴族や武将のやかたに出入した。もっともこの風習は近世初期まで続き,江戸城の評定所で会議のときに遊女が3人ずつ給仕人として出仕したと伝えられる。1100年前後の成立と考えられる《遊女記》(大江匡房著)は古代の遊女のありさまを描写したものであるが,そこに取り上げられたのは淀川河口の江口,神崎(かんざき)などに集まっていた遊女である。同様に水辺で小舟に乗って売春する街娼的遊女として浅妻船(あさづまぶね)の存在がしられている。また《傀儡子記(くぐつき)》(大江匡房著)には人形遣いである傀儡女(くぐつめ)が,半芸・半娼の遊女として各地を移動していたことを記している。有芸の遊女としては鎌倉時代に活躍した白拍子がこれに続く。一方では定住の遊女が増加し,遊女屋の組織も主人(長者(ちようじや))を中心に固定化された。同時に武士などが宿駅通過の際に多数の遊女が集まるため,鎌倉幕府は遊君別当(ゆうくんべつとう)をおいてそれを取り締まった。そのころは武士の酒宴や陣中には必ず遊女が同席した。陣中の遊女には,討ち取った首を洗い,剝落した鉄漿(おはぐろ)をつけなおす役目が課されたといわれる。室町時代になると遊女の人数も増し,地域的にも拡大して多様化が進んだが,社会変動の激しさを反映して〈歩き巫女〉〈歩き白拍子〉などの浮浪売春の形態が少なくなかった。中世末期には都市の発展につれて,都市部に遊女が集中するようになり,その中にお国に始まる女歌舞伎があった。これは傀儡女の田楽(でんがく)や白拍子の曲舞(くせまい)と同じく,遊女の営業に歌舞伎踊を利用したものであり,遊女の売春に介在する情緒的要素としての歌舞音曲との密接な関係を示す一例といえる。
近世社会の進展は遊女をますます多様化させるとともに,豊臣秀吉以後の公娼制政策によって,公娼と私娼との区別が明白となり,遊女の概念にも変化をもたらした。公認の遊郭は私娼街に比べれば規模が大きく,設備も整っており,売春婦の水準も高いことは当然なのであるが,同じく売春に従事しながら容貌,肢体,教養,衣装,調度などにおける格段の差異は,遊女という一つのことばで表現することに矛盾を感じさせたであろう。それに身分階級制による差別感も加わって,遊女は主として公認遊郭に在籍するものをさすことが多かった。もちろん法律的な使い分けに基づくものでないから厳密なものではない。公認遊郭の遊女も,初期の太夫,格子(こうし),端(はし)の3階級からしだいに細分化していき,さらに予備軍としての新造やかむろ(禿)もいて決して一様でなかった。このうちの太夫を招くには揚屋を使わねばならないように遊興形式も他と異なり,技芸や教養もすぐれていたので,遊女と呼ばれることが多かった。遊興相手の理想女性としての遊女のイメージを定着させたともいえる。しかし元禄(1688-1704)ごろには早くも太夫の技芸力が低下し始めて質的下落をきたした。吉原の花魁(おいらん)は上級妓ではあったが,その出現が近世中期であったこともあり,遊女と呼ばれることは少なかった。そして明治以後は娼妓を遊女と呼ぶことはなく,実用語としての使用はみられない。
→公娼 →私娼 →売春
執筆者:原島 陽一
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近代以前の売春婦に対する代表的名称。平安時代に遊女(あそびめ)とよばれたものが、のち音読して遊女となったものである。売春婦がいつごろ日本に発生したかは不明だが、『万葉集』に遊行女婦(うかれめ)の語があって、放浪売春婦の存在が認められる。遊行女婦は、遊芸人としての性格をもった巫女(みこ)の一種であるとする説が有力だが、帰化人説などもあり、いまだ確定していない。その後、平安時代の末期に人形物真似(ものまね)をみせる傀儡女(くぐつめ)、男舞(おとこまい)の演技者である白拍子(しらびょうし)などが、売春婦の新形態として加わった。女芸人と遊女との間には、のちに現れる近世初頭の女歌舞伎(かぶき)を含めて密接な関係があった。これは売春における情緒的要素を構成する一側面であって、生理的な性欲発散だけが目的の売春婦との差を示す重要な因子となる。
傀儡女らのなかには1か所に定住するものもあったが、本質的には放浪または巡行する性格のものであった。これに対し、社会の進展、とくに交通・宿駅・都市の発達に応じて、人間の集中する地区に定住する売春婦が増加した。彼女らは、浮かれ女(め)、遊女、妓女(ぎじょ)、傾城(けいせい)などいろいろな名でよばれたが、いずれも別称や雅言に類するもので、地域性や営業形態の差を表現したものではない。そのなかで遊女はもっとも一般的な名称または総称として使われた。名称の包含する範囲は広く、淀(よど)川下流の江口(えぐち)(大阪市)・神崎(かんざき)(兵庫県)の水上売春婦も遊女とよばれていた。宿駅などに定住する遊女の存在は、遊女屋が成立していたことを意味し、そこに新しく遊女との雇用関係を生じ、背後では人買いや身売りが日常化した。中世末期には城下町や門前町などの発展とともに遊女の数はさらに増加したと考えられる。近世になると、まず豊臣(とよとみ)秀吉が京都・大坂などに遊廓(ゆうかく)を設置して正式に公娼(こうしょう)制を敷き、江戸幕府はこれを継承した。しかし、公認された遊女が均質だったわけではなく、初期においてすでに太夫(たゆう)・格子(こうし)・端(はし)の3階級があり、後期には10数種に細分された例もあった。こうした区分は、時代や地域によって名称なども一様でないが、容色や技量の優劣による評価が遊女の待遇や格式に反映し、揚代(あげだい)に大差がつくだけでなく遊興形式に決定的な差をもたらすことは共通していた。江戸幕府の公娼政策が不徹底なため、公娼のほかに私娼もいて、その名称と形態は多様であった。そのころの遊女の概念は明確でなく、売春婦全体に用いることもあったが、一般には公娼をさすことが多く、狭義には公娼のなかでも上級の太夫や花魁(おいらん)を意味した。それは、古代以来の芸能売春婦の系統を継ぐものとみなしたからであろうが、太夫などは各遊廓に1~5%しかおらず、しだいに少数となって、有芸の売春婦はむしろ一部の私娼に移る傾向があった。近世における遊女の雇用形態は、基本的には身売り的年季奉公であり、まれに年季中に身請(みうけ)されることがあったが、遊廓外へ出ることを禁じられたように生活の自由は著しく制限された。明治以後は、公娼制がさらに強化整備されたが、公娼の名称が娼妓に統一されたことと、質が低下したために、女郎、花魁などは俗称として残ったが、もはや遊女とよぶことはなくなった。そして1946年(昭和21)の公娼制廃止により、遊女の系統は完全に消滅した。
[原島陽一]
『中野栄三著『遊女の生活』(1965・雄山閣出版)』▽『滝川政次郎著『遊女の歴史』(1977・至文堂)』▽『西山松之助著『遊女』(1979・近藤出版社)』▽『小野武雄著『遊女と廓の図誌』(1983・展望社)』▽『今戸栄一編『遊女の世界』(1985・日本放送出版協会)』
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…ほかに仏寺と結合した〈ほとけまわし〉などもあった。 くぐつ女が遊女(あそびめ)であったことは,《下学(かがく)集》(1447成立)の〈日本の俗遊女を呼びて傀儡といふ〉に明らかである。中世以後くぐつというと人形まわしのことを指すようになり,遊女の印象は消えてゆくが,これは後の分化で,平安時代の遊女くぐつは,江戸時代の遊女や宿場女郎のような籠の鳥ではなく,天下を放浪する自由な身で,党を作り旅行者の多い駅路や港津に集まった。…
…売春婦の古称。日本の文献に遊女のことが出るのは《万葉集》の遊行女婦(うかれめ)が最も古く,以後10~12世紀ころまでに,うかれめ,遊女(あそびめ∥あそび),遊君(ゆうくん),および中国語の妓女(ぎじよ),娼女(しようじよ),傾城(けいせい)などの称が使われるようになった。以後これらの用語が併用されるなかで,遊女の語が音読して〈ゆうじょ〉となって広く用いられた。…
…遊女を招いて遊興させる家。遊興の形式には,客が遊女屋へあがる形式と,別の場所へ遊女を招く形式とがあり,揚屋は後者の一例である。…
…しかしそうかといって完全無欠な人格であったというわけではない。慈悲深い人,柔和で怒らぬ人もよく生仏のような人といわれるが,遊女を生仏とする思想もある。《撰集抄》巻五の性空(しようくう)上人と室(むろ)の遊女の物語がそれで,遊女は生身(しようじん)の普賢菩薩であったという。…
…吉原における上級遊女の別称。新造,禿(かむろ)などが専属の姉女郎を〈おいらの〉〈おいらがとこ〉などと呼んだのがなまって〈おいらん〉になったというが,ほかにも語源説があり,詳細は不明。…
…語源はいろいろ説があるが,承応(1652‐55)ごろ活躍した女役の人形遣い小山次郎三郎の〈小山人形〉から出たとするのが有力。(2)遊女の別称。〈おやまぐるい〉ということばは,遊女にうつつを抜かすことである。…
…会合などのために有料で部屋を貸す貸席の意であるが,江戸中期以後は男女の密会のために座敷を提供するのを業とする家の称となり,出合(であい)茶屋,陰間(かげま)茶屋の別称として用いられた。それが1872年(明治5)の娼妓(しようぎ)解放令後は,明治政府による公娼遊郭制度下の遊女屋の公式名称となった。すなわち,娼妓解放令はマリア・ルース号事件に対する外交的配慮の所産であったから,政府は公娼制を維持するために,遊女を娼妓,遊女屋を貸座敷と改称して再編をはかった。…
…遊女の漢語系別称。語源は《漢書》に見える〈一顧傾人城 再顧傾人国〉の詩による。…
…売春婦の異称の一つ。日本では一般に公娼をさすことが多く,ことに明治以後は官制用語となったため,それ以前の遊女と対比して用いられている。しかし明治政府も,1872年(明治5)10月のいわゆる娼妓解放令以前は江戸時代同様に遊女とよんでいたし,以後も大阪府が遊妓と称したように,初めから娼妓に統一していたわけではない。…
…またそれを職業とする女をいう。遊女が多かったことから,一時期遊女の代表的別称となった。僧侶や童児が寺院などで演ずることもあった。…
…また,どの分野にかぎらず,太夫は男性の称号であって,女流演奏者には用いない。 浄瑠璃以外では,歌舞伎の女方の長を太夫と呼ぶが,これは初期の遊女歌舞伎時代に,格式の高い遊女を太夫と尊称したことから発した伝統をうけついだものである。ひいては,遊女の抱え主がその興行を監督したところから,歌舞伎芝居の元締めにあたる者を太夫元といった。…
…そしてこうした女性も特有の被り物(かぶりもの)によって,平民の女性からみずからを区別していた。 遊女,白拍子(しらびようし),傀儡(くぐつ)なども基本的には同様で,そのなかには正式の職人として認められた人々もあったのである。鍛冶,番匠,檜物師などと同様に荘園・公領に給免田を与えられた傀儡の存在や,遊女・白拍子は〈公庭〉に属する人といわれている点などによって,それは明らかである。…
…最近は広告の多様化に伴ってほとんどすたれたが,歌舞伎,相撲になごりをとどめている。なお,特殊なものとして,遊郭で新造出(しんぞうだし)の際に積物をし,また,なじみの客が遊女へ贈る夜具を遊女屋や引手茶屋の店先に飾った。これを積夜具(つみやぐ)(または飾夜具)といい,上下各3枚の厚い布団を二つ折りにして重ね,その上に夜着をのせた。…
…この柳田分類に対して,折口信夫は,柳田のいう民謡を(1)童謡,(2)季節謡,(3)労働謡に分類する以外に,(4)芸謡の存在を挙げている。芸謡は芸人歌のことで,日本では各時代を通じて祝(ほかい)びと,聖(ひじり),山伏,座頭(ざとう),瞽女(ごぜ),遊女などのように,定まった舞台をもたず,漂泊の生活の中で民衆と接触しつつ技芸を各地に散布した人々があり,この種の遊芸者の活躍で華やかな歌が各地に咲き,また土地の素朴な労働の歌が洗練された三味線歌に変化することもあった。瞽女歌から出た《八木節》,船歌から座敷歌化した《木更津甚句》などがその例である。…
…平安末期の漢文体の短文。漢文学者大江匡房が,江口や神崎の遊女たちの様を書き記したもの。それによると,当時西国から京への交通の要所にあたる神崎川には江口,神崎,蟹島などの遊里が発達していた。…
※「遊女」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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