生田浩二(読み)イクタ コウジ

20世紀日本人名事典 「生田浩二」の解説

生田 浩二
イクタ コウジ

昭和期の社会主義運動家 共産同創立者。



生年
昭和8(1933)年2月3日

没年
昭和41(1966)年3月23日

出生地
静岡県静岡市

学歴〔年〕
東京大学経済学部卒,ペンシルベニア大学(米国)〔昭和39年〕

経歴
静岡城内高校2年の時、共産党入党。昭和27年東大に入学、教養学部細胞のリーダーとして活動。共産党が武装闘争路線を転換した30年の六全協の後、大学に戻り、授業料値上げ反対闘争を指導。31年経済学部に進み、自治会中央委員会議長として砂川基地反対闘争などを指導。33年東大細胞機関誌「マルクス・レーニン主義」を創刊、党中央と理論的に対立し、島成郎らとブントを組織、34年8月事務局長。35年羽田デモ事件で逮捕、起訴されたが、安保闘争後大学院に進み、39年には米ペンシルバニア大学に留学。41年アパート火災で恭子夫人ととにも焼死した。友人らによる「生田夫妻追悼記念文集」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「生田浩二」の解説

生田浩二 いくた-こうじ

1933-1966 昭和時代後期の学生運動家。
昭和8年2月3日生まれ。東大在学中の昭和32年に砂川基地反対闘争を指導。共産主義者同盟の事務局長として,35年の安保闘争に活躍する。アメリカ留学中,41年3月23日事故死した。33歳。静岡県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「生田浩二」の解説

生田 浩二 (いくた こうじ)

生年月日:1933年2月3日
昭和時代の社会主義運動家。共産同創立者
1966年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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