生石庄(読み)おうしのしよう

日本歴史地名大系 「生石庄」の解説

生石庄
おうしのしよう

和名抄」賀陽郡生石郷の郷名を継いだものか。嘉応元年(一一六九)の足守庄図(神護寺蔵)の南境に「生石御庄堺 塔田一条六丁作人永宗坪」と記され、山城神護じんご寺領足守あしもり庄の南に隣接していた。慶長六年(一六〇一)木下家定への徳川家康宛行状(足守木下家文書)に、「生石之内」として小山こやま村・高塚たかつか村・土田つちだ村があり、現岡山市西端の足守川流域一帯に推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む