生萱村(読み)いきがやむら

日本歴史地名大系 「生萱村」の解説

生萱村
いきがやむら

[現在地名]更埴市生萱

現更埴市の東端山麓に位置し、雨宮あめのみや村の東、倉科くらしな村の北、西には広大な屋代やしろ田圃沢山さわやま川を挟んで展開する。

口碑によれば、応永(一三九四―一四二八)頃は、生身大和守・雨宮孫五郎ら村上氏の麾下の土豪の領するところであったという。その後、村上氏の支族清野氏によって滅ぼされ、天文年中(一五三二―五五)には清野氏の采地となったという(長野県町村誌)。村名の初見は、元和四年(一六一八)の信州川中島御知行目録(真田文書)で、「一、高四百参拾弐石四斗八升五合 生萱村」とあり、慶長七年(一六〇二)川中島四郡検地打立之帳に村名がみえないことから、同年には倉科村雨宮村の一部であったものが、酒井忠勝時代に村として独立したものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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