更埴市(読み)コウショクシ

日本歴史地名大系 「更埴市」の解説

更埴市
こうしよくし

面積:七八・五四平方キロ

善光寺平ぜんこうじだいらの南部に位置し、南隣に埴科はにしな戸倉とぐら町、北は長野市に接す。境域の東部は鏡台きようだい山から妻女さいじよ山に至る山系で、西部は冠着かむりき(姨捨山)からさる馬場ばんば峠・ひじり山から高雄山・篠山を結ぶ。千曲川が中央を貫流し、沖積地を作る。東山地からは沢山さわやま川が、西山部からは佐野さの川がそれぞれ千曲川へ流入し、倉科くらしなもり扇状地桑原くわばらの扇状地を作る。

信濃国の中でも早くから開拓の進んだ地方といわれ、千曲川沿岸の自然堤防上には五輪堂ごりんどう堀ノ内雨宮あめのみや等の弥生・古墳時代の集落遺跡が多く、西側では八幡やわた稲荷山いなりやまの遺跡がある。また西山麓の大田原おおたはら縄文土器が出土する。東部の扇状地から屋代田圃やしろたんぼの恵まれた耕地を控えた森・倉科地方には、県内でも古いといわれる前期前方後円墳の大規模なものをはじめ、多くの古墳群がある。森将軍塚・倉科将軍塚・土口どぐち将軍塚はその代表的なものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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