田代番所跡(読み)たしろばんしよあと

日本歴史地名大系 「田代番所跡」の解説

田代番所跡
たしろばんしよあと

[現在地名]宮崎町宮崎 田代

田代西越出羽道を看視するために置かれた藩境警備のための番所。寛文九年(一六六九)切込きりこめ宿から二里二九町、領境より三町四八間手前の本田代もとたしろに設置され、足軽一〇人が配置されていたという。天和三年(一六八三)番所足軽が密馬移出を見逃したため、これに同調しなかった鎌田八兵衛一人を残し、九人は他国追放、新たに五人を足軽に取立て、都合六人となる。貞享二年(一六八五)雪が深すぎるため、やや下方の切込から一里二三町五九間、領境から一里八町八間の槻平つきだいら(田代)に番所を移転したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む