日本歴史地名大系 「宮崎町」の解説 宮崎町みやざきちよう 宮城県:加美郡宮崎町面積:一七七・一七平方キロ町域南東端は大崎(おおさき)平野の西のはずれにあたり、田(た)川が鳴瀬(なるせ)川に合流する。しかし町域の約八〇パーセントは山林で、西は奥羽山脈の七〇〇―八〇〇メートルの山々で山形県最上郡最上町に接し、北も国見(くにみ)山(六五三・九メートル)などの山林で玉造(たまつくり)郡鳴子(なるこ)町、北東から東は中新田(なかにいだ)町に、南は小野田(おのだ)町に接する。山々の水を集めて烏(からす)川・澄(すみ)川・二ッ石(ふたっいし)川などが南流し、東流する田川に注ぐ。主産業は農業だが、山がちの地形上林業を兼ねる者が多く、牧畜も盛んで放牧地も多く作られ酪農と畜産に力が注がれている。特産としてアスパラガスがあり、シイタケ・果実・野菜生産も行われている。 宮崎町みやざきちよう 大阪府:大阪市南区宮崎町[現在地名]南区谷(たに)町七丁目生駒(いこま)町の南にあり、「天保町鑑」には「谷町筋南の口一筋西ノ丁、寺町より一丁北へ入、北ハ行当ル」と記される。明暦元年(一六五五)には堀之外戎(ほりのそとえびす)町といい、延宝八年(一六八〇)宮崎町となった(南区志)。 宮崎町みやざきちよう 兵庫県:伊丹市伊丹郷町宮崎町[現在地名]伊丹市宮(みや)ノ前(まえ)一丁目伊丹町を構成する二七ヵ町の一つ。天王(てんのう)町の南に位置し、正徳年間(一七一一―一六)成立(文禄伊丹之図・「有岡古続語」)。文禄伊丹之図や寛文九年(一六六九)の伊丹郷町絵図には三本松や松林が描かれているだけで人家はない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by