田甲村(読み)たこうむら

日本歴史地名大系 「田甲村」の解説

田甲村
たこうむら

[現在地名]吉見町田甲

長谷ながやつ村の北東比企丘陵に続く吉見丘陵の北東端に位置する。西は比企郡たいら(現東松山市)など。古代横見よこみ高生たけふ(和名抄)の遺名とみる説もある。また古くは高負村と記したがのち田甲に改めたという(郡村誌)。地内に徳治三年(一三〇八)から永和五年(一三七九)に至る板碑四基がある。田園簿では田高二六三石余・畑高二一三石余、幕府領。日損場との注記がある。東方に離れた荒川近辺に持添の田甲新田が開発され、寛文年間(一六六一―七三)新田検地が行われた。元禄郷帳によると、高七四〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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