田近村
たぢかむら
中世の村名。西昆陽庄に含まれ、武庫川と仁川の合流点付近にあった。九条家領であったが、年未詳の西小屋庄内田近村相伝文書目録(九条家文書)によると、元徳三年(一三三一)には安堵の院宣が下されているのをはじめ、康永三年(一三四四)には室町幕府の御教書とそれを受けた守護の打渡状が、康安二年(一三六二)にも摂津守護の施行状があったことが記されており、再三、侵略が排除されている。貞治元年(一三六二)一〇月三日の後光厳天皇綸旨案(同文書)では養接寺領として紀伊国岡崎庄(現和歌山市)三分の一とともに安堵されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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