日本歴史地名大系 「西昆陽村」の解説 西昆陽村にしこやむら 兵庫県:尼崎市旧武庫郡地区西昆陽村[現在地名]尼崎市西昆陽一―四丁目・常松(つねまつ)二丁目、西宮(にしのみや)市田近野町(たぢかのちよう)時友(ときとも)村の北西に位置し、西側を流れる武庫川の対岸に飛地をもつ。南側を山陽道が通る。北は川辺(かわべ)郡池尻(いけじり)村(現伊丹市)、蔵人(くらんど)村(現宝塚市)、飛地の西は段上(だんのうえ)村(現西宮市)。一六世紀初め武庫川の洪水で川西にあった田近村(現同上)が全村流失し、村人は当村に移住したので、田近は荒地のまま当村の一部となったという(尼崎市史)。中世西小屋(にしこや)庄の遺称地。慶長国絵図に西小屋村とみえ、高二七六石余。正保郷帳でも同高。初めは幕府領、元和三年(一六一七)尼崎藩領となり明治に至る(尼崎市史)。元禄一二年(一六九九)の尼崎藩瓦林組村々吟味書付帳(岡本家文書)では家数六四・人数三一二、宝永七年(一七一〇)には牛一七(「尼崎藩生津組牛数覚」同文書)。天明八年(一七八八)の家数四五・人数二一二、牛一一。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by