畑ヶ谷村(読み)はたがたにむら

日本歴史地名大系 「畑ヶ谷村」の解説

畑ヶ谷村
はたがたにむら

[現在地名]白鳥町ろく

藤林ふじばやし村の東、長良川の支流牛道うしみち川の上流右岸山麓に立地。慶長郷帳では「うしミつ(牛道)・中西共」の内に含まれると推定される。正保郷帳に村名がみえ、田方一九石余・畑方七七石余。元禄郷帳では高四七石余。宝暦六年(一七五六)の郡上郡村高覚帳(鈴木文書)では家数六。安永二年(一七七三)の郡上領留記(大西文書)によれば高四九石余、井水二、一本橋一、小物成は真綿一〇〇匁・大豆五俵・紙三帖ほか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む