郡上郡(読み)ぐじようぐん

日本歴史地名大系 「郡上郡」の解説

郡上郡
ぐじようぐん

面積:一〇三二・六四平方キロ
美並みなみ村・八幡はちまん町・和良わら村・大和やまと町・白鳥しろとり町・高鷲たかす村・明方みようがた

西部の白山山脈および飛騨境の山地を分水嶺として、郡の中央部を長良川が南流する。長良川水系流域が大半を占めるが、東部は木曾川水系に属し、北西部は九頭竜くずりゆう川水系も含んでいる。大半は山地で、全面積の約九〇パーセントを占め、川の段丘面に耕地と集落が点在する。最大の人口密集地は吉田よしだ川下流の八幡町中心部。現郡域での最高峰は北西端に位置する白山系の銚子ちようしヶ峰(一八一〇・四メートル)で、旧郡域の最高峰は大日だいにちヶ岳(一七〇八・九メートル)。北は大野郡荘川しようかわ村・清見きよみ村、東は益田ました馬瀬まぜ村・金山かなやま町、南は武儀むぎ上之保かみのほ村・武儀町、美濃市、西は武儀郡洞戸ほらど村・板取いたどり村、福井県大野郡和泉いずみ村・同県大野市に接する。ほぼ木曾川に沿って国道一五六号・長良川鉄道が南北に縦断する。北端の飛騨国境の山々は白山国立公園に含まれ、南端の美並村は奥長良川県立自然公園に属する。

〔原始〕

大和町大間見友久おおまみともひさ遺跡では先土器時代ないし縄文草創期のナイフ形石器や有舌尖頭器(黒曜石製・チャート製・黒雲母安山岩製・サヌカイト製)が出土している。とくに大和町落部おちべ中屋なかやから出土した黒曜石製有舌尖頭器は当時の交易圏を知るうえで重要である。縄文遺跡は郡内全域に分布し、とくに中期の遺跡が多く知られる。九頭竜川水系に属する白鳥町石徹白の長者屋敷いとしろのちようじややしき遺跡からは東海文化圏の土器と北陸系の土器が混在して出土し、注目される。中期のメンヒル高鷲村和良村を除く三町二村にわたって計一一基が確認される。弥生時代遺跡は長良川・木曾川両水系に限られ、その北端は白鳥町二日町ふつかまち(後期)である。最も早い時期の遺跡は中期初頭の八幡町穀見こくみ遺跡である。金属器の出土例は、美並村三戸みと字コザカの銅鏃一点のみ。古墳時代遺跡は長良川水系に集中し、ほかには九頭竜川水系に円墳と推定される石徹白の御旅所おたびしよ古墳が知られるにすぎない。これらを集計すると、白鳥町一一・大和町一二・八幡町七・美並村二で、いずれも円墳である。最も時期の早いものは六世紀中頃とされ、六基が知られる。大和町薬師平やくしだいら古墳は七鈴五獣鏡を出土し、大和勢力と結びつく地方豪族が、当時、大和町つるぎ徳永とくなが周辺に存在した。

〔古代〕

文徳実録」斉衡二年(八五五)閏四月一九日条に「分美濃国多藝武義両郡、為多藝・石津・武義・群上凡四郡」とあり、このとき群上(郡上)郡が成立している。古くは「ぐんじょう」とよばれたと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報