白鳥町(読み)しろとりちよう

日本歴史地名大系 「白鳥町」の解説

白鳥町
しろとりちよう

面積:一九五・九〇平方キロ

郡の北西部に位置し、西は毘沙門びしやもん(一三八五・五メートル)など越美山脈を境に福井県大野郡和泉いずみ村、東は明方みようがた村・大野郡荘川しようかわ村、北は高鷲たかす村・荘川村、南は大和やまと町に接する。地形上太平洋斜面に属する地域と、日本海斜面に属する北西部の石徹白いとしろ地区に二分され前者は郡上郡、後者は近代まで越前国大野郡に属した。前者は北の大日だいにちヶ岳に源を発した前谷まえだに川と、高鷲村から流れ出る長良川が合流して縦貫する。途中右岸では蓮原はすはら川・向小駄良むかいこだら川を合せ、左岸では白尾山に源を発する牛道うしみち(鷲ヶ岳を水源とする阿多岐川を合流する)和田わだ川を合する。この間にいくつかのV字谷や小盆地、河岸段丘を形成し、集落や耕地が開ける。

白鳥町
しろとりちよう

面積:七二・一四平方キロ

北は播磨灘に面し、東は山地により引田ひけた町に接し、南は讃岐山脈で徳島県板野いたの土成どなり町・阿波あわ市場いちば町と境する。「和名抄」の大内おおち郡白鳥郷・入野にゆうのや郷・与泰よだ郷の一部に比定され、白鳳期の白鳥廃寺跡があり、中世には京都浄金剛院領大内庄が成立するなど古くから開けた農村地帯。町の中央をみなと川が貫流する。近世には白鳥神社の門前町が発達し、また砂糖の生産で繁栄した。

白鳥町
しらとりちよう

[現在地名]函館市白鳥町など

昭和六年(一九三一)九月に設定された町で、田家たや町の南に位置する。それまでの函館区大字亀田村かめだむらの字であった村内むらうち・田家・八幡社後手はちまんしやうしろての各一部を併せて町域とした(函館市字地番改正調書)。「蝦夷島奇観」によると、慶長一八年(一六一三)に「奥州岩井郡白鳥村」(現岩手県前沢町白鳥か)から当地に来た社家白鳥孫三郎を松前家は招じて臣となし、亀田村に番所を建てて近郷を守らせたといい、町名はこれによる。ただし、「検考録」は孫三郎の兄「孫次郎」の家が代々亀田郷の代官を勤めたと記している。

白鳥町
しろとりまち

[現在地名]熱田区白鳥町

熱田神宮の東、町名は白鳥陵(白鳥古墳)に由来する。東の高見薬師堂(法持寺門外)から西・南へ押巡らして、町の長さ七七間。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報