日本歴史地名大系 「畑里村」の解説
畑里村
はたりむら
[現在地名]中島町畑里
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の風早郡の項に「畑里村 日損所、芝山有」とみえ、村高六三石七斗六升八合、うち田三七石三斗一升八合、畑二六石四斗五升とある。
明治一一年(一八七八)の「伊予国風早郡地誌」に「往古ハ粟井郷松吉荘ニ属セシ所、後チ何ツノ頃トナク郷荘名自ラ廃ス、然シテ初メ桑名村ト称セシ所、天慶三年庚子三月粟井村ト改ム、後チ永享六年甲寅二月ニ至リ粟井村ト分テ両村トナリ、今ノ村名ヲ得タリ」とある。粟井村と分郷して畑里村と称したが、その村境には判然としない部分も残った。中島開拓の祖とされる藤原親賢の努力で開かれたものであろう(→粟井村)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報