日本歴史地名大系 「温泉郡」の解説
温泉郡
おんせんぐん
重信川が山間地から松山平野に流入する辺りまでに位置する川内町・重信町と、松山市の北西海上に浮ぶ
現在の郡名は古代から明治三〇年(一八九七)まで続いた温泉郡を継承するが、郡域はもとの温泉郡とは異なっている。旧郡域は現在すべて松山市域内。
重信川は重信町の東北、
〔原始〕
〔古代〕
忽那島の初見は天平一九年(七四七)の法隆寺伽藍縁起并流記資財帳で、法隆寺の荘園が伊予国に一四ヵ所ある中に、忽那島に一ヵ所あったことが記される。忽那島を「骨奈嶋」と記しており、地域比定は他に文献がないので不可能である。忽那島は
平安時代に入ると忽那島は牧場として現れる。
温泉郡
おんせんぐん
- 愛媛県:伊予国
- 温泉郡
「和名抄」所載の古代伊予国一四郡の一。流布本に「温泉」と記し、「湯」と訓じている。郡内の郷として、高山寺本に「原 井上 味酒」と記し、流布本に「桑原 埴生 立花 井上 味酒」と記す。伊予国のほぼ中央部、
「伊予国風土記」逸文のなかに「湯郡」とあるのが初見である。これよりさきに聖徳太子(「伊予国風土記」逸文)、舒明・斉明の二帝(「日本書紀」、「伊予国風土記」逸文)、また万葉歌人山部赤人・額田王らが道後温泉に来浴した。天平一九年(七四七)二月勘録の法隆寺伽藍縁起并流記資財帳のなかに、伊予国にあった法隆寺の荘園一四所のうちとして、「温泉郡三処」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報