登利可汗(読み)とうりかがん(その他表記)Deng-li Ke-han; Teng-li K`o-han; Tängri K`o-han

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「登利可汗」の意味・わかりやすい解説

登利可汗
とうりかがん
Deng-li Ke-han; Teng-li K`o-han; Tängri K`o-han

[生]?
[没]741?
突厥カガンビルゲ・カガン (毗伽可汗)の子。登利とはチュルク語のテングリ tängri (天) の漢音訳。 734年兄の伊然可汗 (いぜんかがん) を継いで即位。当時突厥の軍は東西2人のシャドに握られていたが,740年登利はその母とともに西のシャドを襲ってその兵馬を従えた。しかしまもなく,これを恐れた東のシャドに殺された。突厥はこれにより混乱し,数年ののちに鉄勒の一部であるウイグルに滅ぼされた。

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世界大百科事典(旧版)内の登利可汗の言及

【突厥】より

…彼らの功績は突厥碑文に残されている。しかしビルゲ・ハガン,キョル・テギン兄弟の死後1代おいて即位した登利(テングリTängri)可汗は,唐の玄宗皇帝を天可汗と呼んで,実質的にこれに臣従するなど国勢は衰え,内紛も続いた。こうしたおりにバスミル族,カルルクQarluq族とともに反乱をおこしたウイグル族の長,骨力裴羅(クトルク・ボイラQutlugh Boyla)が744年に可汗を称するにいたって突厥の国家は崩壊した。…

※「登利可汗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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