デジタル大辞泉 「ビルゲカガン」の意味・読み・例文・類語 ビルゲ‐カガン(Bilgä Khaghan) [?~734]中国唐代の東突厥とっけつの可汗(王)。在位716~734。唐に対して妥協政策をとり、民族の統一に努めたが暗殺された。その功績は突厥碑文に残る。ビルゲ‐ハガン。→突厥[補説]「毗伽可汗」とも書く。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「ビルゲカガン」の意味・読み・例文・類語 ビルゲ‐カガン ( Bilgä Kaghan ) 突厥第二帝国第三代の可汗(在位七一六‐七三四)。漢名毗伽可汗。鉄勒、契丹などの近隣諸部族を討ち、勢力の発展に努めた。その功績を記したオルホン碑文は、歴史学・言語学上の貴重な資料である。(六八四‐七三四) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビルゲカガン」の意味・わかりやすい解説 ビルゲ・カガン(毗伽可汗)ビルゲ・カガンBilgä Khaghan [生]?[没]734東突厥のカガン (在位 716~734) 。突厥第2帝国を復興したクトルク (骨咄禄) の子。もとシャドであったが,716年叔父の黙啜可汗 (もくてつかがん) が鉄勒諸部に殺され,カガン継承問題で突厥に内乱が生じたとき,弟のキョル・テギン (闕特勤)と協力し,黙啜の子とその信任する臣たちとを殺し,カガンとなった。父以来の重臣トニュクク (暾欲谷)を重用し,近隣の契丹,バスミルなどを討ってこれを支配下に入れ,政権の安定をはかった。しかし 734年大臣の梅録啜に毒殺された。その紀功碑がオルホン河畔に建てられた。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
山川 世界史小辞典 改訂新版 「ビルゲカガン」の解説 ビルゲ・カガンBilge Khaghan 毗伽可汗 684~734(在位716~734)突厥(とっけつ)第二可汗国の第3代カガン。弟のキョル・テギンに推されて即位。名相トゥニュククを用い,鉄勒(てつろく),契丹(きったん)など近隣諸族を従え,唐とは親交関係を保った。 出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報 Sponserd by
旺文社世界史事典 三訂版 「ビルゲカガン」の解説 ビルゲ=カガンBilgä Khaghan 684〜734復興後の突厥 (とつけつ) 第3代のカガン(在位716〜734)弟のキュル=テギンに擁立されると,弟および重臣トンユククの軍事・政治上の手腕を助けとして,唐とは平和関係を保ち,もっぱら鉄勒 (てつろく) ・契丹・カルルク・バシュミルを討伐して国力をあげたが,臣下に毒殺され,以後突厥は衰退した。オルホン碑文にその功績がたたえられている。 出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報 Sponserd by