トルコ系諸族の一つ。漢文史料では廻紇(かいこつ)、回鶻(かいこつ)、畏吾児(ウイグル)などと記され、20世紀になってからの中国語では維吾爾(ウイグル)と表記される。中国領内の人口は1006万9346(2010)。モンゴリアから南シベリアに広く散開していた古代チュルク系遊牧民族の一つとして、突厥(とっけつ)の後を継いで744年から840年までモンゴリアに遊牧国家を築いた。初代キョル・ビルゲ・カガン(懐仁可汗(かいじんかがん)。?―747)がウテュケン山麓(さんろく)を根拠地としたところからそれは始まる。2代目カガン磨延啜(まえんチョル)(葛勒(かつろく)可汗。?―759)のとき、安史の乱(755~763)鎮圧に協力して派兵したことから、唐朝に対して一時期優位にたった。
彼らは遊牧生活を基本としながらも、領内にバイバリク(富貴(ふうき)城)、オルドゥ・バリク(カラ・バルガスン)などの都城を建設して、支配層は定居生活も知った。文化の面では、第8代の保義(ほぎ)可汗(?―821)の紀功碑「カラ・バルガスン碑文」が注目される。これは、突厥文字のチュルク語のほか、漢文、ソグド文字のソグド語でも刻文された。このことは、遊牧ウイグル社会のなかに突厥以来の国際的文化が継承され、ソグド人の文化がいっそう深く入り込んでいたことを示している。3代目の牟羽(ボグ)可汗のとき以降、従来のシャーマニズムとは別にソグド人のマニ教が信奉されたこともその一例である。
840年、天災、内乱と北方キルギス人の圧迫でウイグル遊牧国家は崩壊し、南下した一部は唐の北辺に入り、河西地域に入ったウイグルは甘州を中心に展開した(甘州回鶻=960~1028)。他の一部は西部天山山脈一帯のカルルク人の地に入り、後のカラ・ハン朝成立にかかわったと思われる。別の主力部分は、東部天山山脈の北庭(ビシュバリク)、焉耆(えんぎ)、高昌(こうしょう)一帯を掌握した。この天山北麓草原とトゥルファン農耕地を中心とする「天山ウイグル王国」(西ウイグル王国)の内部では言語、住民構成のウイグル化=チュルク化が進み(トルキスタンの成立)、従来の漢文化やイラン系アーリア系文化と混交した定着ウイグル仏教文化が形成された。12世紀カラ・キタイへの従属を経て、13世紀にはチンギス・ハンのモンゴル帝国に率先して臣従し、半独立的地位を保ったこの王国も13世紀末には崩壊した。この間、ウイグル人はソグド人にかわって内陸通商ルートを抑え、元朝統治にも人的、文化的に深く関与した。
その後、中央アジアのウイグル人はチャガタイ・ハン国の支配を受けてイスラム化を深め、民族的にも変容し、ウイグルという民族自称名を失った。現在ロシア領内や、中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区に採用されているウイグルの名称は1920年代以後のものであり、言語的要素を除き、かならずしも古代から連続した実体をさすものではないが、ウイグル人としての民族意識をもつに至っている。
[梅村 坦]
『羽田亨著『羽田博士史学論文集 上巻 歴史篇』(1957/再刊・1975・同朋舎出版)』▽『安部健夫著『西ウィグル国史の研究』(1955・彙文堂書店)』▽『山田信夫著『トルキスタンの成立』(『岩波講座 世界歴史6』所収・1971・岩波書店)』▽『高崎通浩著『世界の民族地図』(1997・作品社)』
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廻紇(回鶻)(かいこつ),畏兀児(維吾爾)(ウイグル)モンゴル高原に遊牧し,のち中央アジア方面に移住,定着したトルコ民族。セレンゲ川上流域から興り,6~7世紀には突厥(とっけつ)に支配されていたが,744年にこれを滅ぼして建国し(東ウイグル可汗(カガン)国),安史の乱では唐に援軍を送るなど強盛をきわめた。ソグド人の影響のもとでマニ教を受け入れ,草原に都城を建設して遊牧社会の変容をもたらしたものの,天災と内乱に乗じたクルグズ人の侵入を受けて滅亡した(840年)。四散したウイグルは天山方面に西ウイグル王国,河西地方には甘州ウイグル王国を建てた。後者は11世紀にタングートの支配下に入った。西ウイグル王国では仏教文化が繁栄し,内陸交易も活発だった。12世紀にカラキタイの支配を受け,13世紀の初めチンギス・カンに帰順し,モンゴル帝国形成と元朝統治に文化・人材面で貢献した。16世紀までにほぼイスラーム化し,ウイグルの名は失われたが,1920年代以降オアシス住民と言語の呼称として復活した。現在,新疆(しんきょう)ウイグル自治区の主要住民である。
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…しかし682年(永淳1)突厥が復興し,741年までモンゴリアを支配した。突厥のあとをうけて744年,トルコ系鉄勒(てつろく)の一派ウイグル族(回紇,回鶻)がモンゴリアの盟主となった。唐とも緊密な関係を持ち,とくに755年(天宝14)に起きた安史の乱においては唐を助けて乱の鎮圧にあたった。…
※「ウイグル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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