知恵蔵 「登坂絵莉」の解説
登坂絵莉
1980年に国体少年グレコローマン48キロ級で優勝した父・登坂修の影響で、9歳から地元のジュニア教室でレスリングを始める。2004年及び05年に全国少年少女選手権で優勝。高岡市立南星中学校時代には、08年全国中学生選手権41キロ級で優勝。愛知県至学館高に進学して以降、48キロ級となり、10年、11年の全国高校女子選手権で2連覇を達成した。11年はアジア・ジュニア選手権で優勝し、全日本選手権では前年の1回戦敗退から2位に躍進した。
至学館大に進み、吉田沙保里(ALSOK)と共に栄和人に指導を受ける。12年にアジア選手権に出場して3位となる。同年の全日本選抜選手権では優勝し、初出場の世界女子選手権では、決勝でいったん勝利と判定されながら、不可解な経緯で判定が覆って銀メダルとなった。13年は全日本選抜選手権決勝で優勝し、世界選手権では初の世界一となる。階級区分が変わった14年も、世界選手権とアジア大会で優勝し、12月の全日本選手権では3年連続優勝を達成した。
15年も世界選手権で勝って3年連続世界一を達成し、5位(上位6人)までの国・地域に与えられるリオデジャネイロ五輪への出場枠を獲得すると共に、日本レスリング協会の規定を満たしたことから自身初の五輪代表に内定した。この全日本選手権では、減量の負担を考慮して53キロ級に出場し、優勝した。16年2月、アジア選手権48キロ級で、準決勝で中国の孫亜楠に敗れて3位に終わり、12年の世界選手権の決勝以来、公式戦で3年4カ月ぶりの敗戦となり、連勝は59で止まった。
(葛西奈津子 フリーランスライター/2016年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報